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2003.01.16

清水義範「上野介の忠臣蔵」(文春文庫)

 本日、旧暦師走十四日ということで、忠臣蔵300年でございます。
 忠臣蔵は、なまじ筋を知っているだけに真剣に見たことがないままだったのですが、清水義範「上野介の忠臣蔵」(以下清水本)を手にとってしまったのが昨秋のこと。

 清水本は読んで字の如く、吉良上野介側から見た「忠臣蔵」なんですが、解説に「これが初の忠臣蔵ならどういう感想を持つのか」みたいなことが書いてあって、その目論見どおりの読者としては、とりあえずフツーの忠臣蔵を見ないとと思った次第。何せフツーの忠臣蔵の裏を描いている小説なだけに、何で赤穂浪士があんなに受けるのかが謎に思えてならんのでした。主人の仇を討つ「赤穂義士」なんて持てはやされているものの、ただ一人を殺すのを目的に夜討で殺戮した集団だよなと。武士道とか内蔵助のリーダーシップとかが美点とされるのも分からなくもないのですが。

 で、年末にNHKの300年特番をうろうろっと見ただけに更に謎は深まり、年始のテレ東時代劇を見つつ清水本を読み直し。結局悪いのは上野介でも内匠頭でもなく、当時の独裁者である将軍綱吉だが、お上の裁定に異を唱えることは出来ず、圧政に苦しむ大衆のストレスが浅野に同情的な流れを生み、その世論に当のお上すら流されてあの顛末になっちゃった、というのが清水本なんですが、すっかりそれにはまってしまいました。

 その視点でフツーの忠臣蔵を見ると、「討ち入りこそ正義」を正当化する演出になっている訳です。清水本では色好みと書かれているのは内匠頭の方なんですが、テレ東時代劇では上野介が内匠頭の正室に手を出そうとした所から話が始まっていたり、清水本では善政を敷いた上野介が、テレ東時代劇では金に執着する描写が多かったり、清水本の清水一学(赤馬の殿様に忠義を尽くす好青年)とテレ東時代劇の清水一角(上杉家から派遣された家老の小林に従って上杉へ行こうとする)がまるで別人とか。

 清水本のおかげで吉良側に同情したい気分が勝ち、「忠臣蔵を愛するDNA」は残念ながら自分にはないのかも(^^; 大河の三英傑でも思ったんですが、やはり歴史は多方向から見ないとなぁと。歴史に限らない話ですけど。

「その時 歴史が動いた」忠臣蔵・お裁き始末記

上野介の忠臣蔵(文春文庫)
清水義範著

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