「誰が求める戦争か?」
「もし次に戦争が起こったら、それは僕らが求めた戦争だ」──GX第三十六話より、オルバ・フロスト。こういう展開をする物語ってのも珍しいとは思うんですが、昨今の情勢見てると、ほんと、誰が求めてるのかと思うことしきり。戦争で利益を得ることが見込めるからこそ、それは求められるものであり。そして、求めるものは直接不利益を被る所に居ないのが常。フロスト兄弟は前線に居ましたが。
日本がアの国の顔色伺ってるのを見ると、清水義範「開国ニッポン」(集英社文庫)の解説で、岸田秀氏の「黒船コンプレックス」(黒船が日本人に与えた影響をトラウマととらえる、というもの)が紹介されていて、それを延々引きずってるのか? とも思い。でも開国して間もない頃の日本人はもっと誇りを持ってたように思えるので(鹿鳴館とかはともかくとしてだ)、やはり「敗戦後」の萎縮の方が大きいのかもとか。その上、朝鮮戦争の特需景気があったからこそ戦後の復興があったんだもんな、アの国に足向けて寝られんわな。ってそれだけじゃないんだろうけどさ。
結局、「次の戦争」が起こっても、日本は今のところ憲法上他国へ武力行使できないことになってるんで、ま、それでも協力しろと言われて何だかんだ言って手を貸すんだろうけどさ、戦場で直接人殺しはしなくて済む立場なんだよね多分。で、「勝つことが見込まれる立場」についてりゃ、「戦後」の利権を何がしか見込める訳で。って考えてると凄く嫌になってくる。戦争ってのは人殺しなんですよ? 「空爆」って言ってるのは攻撃を仕掛ける側の言葉であって、受ける側からは「空襲」って言うんですよ? かつてアの国による空襲を受けた国の人間として、更なる犠牲者が出るのに手を貸すってどうなのよ、と、こういう場面では被害者の立場に立つことも必要かと。かつて加害者の立場にあったからこその動きも求められているはずなんですが。何つったら良いのか、嫌だなぁ、ほんと。
先日の新聞の投書欄、世界には貧困に喘ぐ人々も居るのに宇宙開発を進める意義を問うものがあったけど、宇宙から見た地球には国境線がないという視点を持つこと、冷戦期の米ソの頃とは違って今のISSは目に見える国際協力の場であること、前向いて進まないと人類は停滞するということは意義なんじゃ。大体、宇宙開発より莫大な予算つぎ込んでる軍事費を削る方が遥かに意義がありまっせ。
![]() | 開国ニッポン(集英社文庫) 清水義範著 |
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