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2003.11.16

Nスペ「文明の道」第7集 エルサレム・和平・若き皇帝の決断

 今月の「文明の道」、再放送は11/18・2415。

 先月のバグダッドといい、エルサレムもまた2003年現在の風景が黒光りする銃に彩られているのが見るも痛ましい限り。今月は200年続いた十字軍の侵攻を、10年だけとはいえ武力を使わず言葉で止めてみせた二人の王様の物語。正直、「文明の道」というより「その時歴史が動いた」っぽいかなーとか思ってしまいましたが(先週まで項羽と劉邦だったから余計)。しかしま、最近どうにも「話し合いで解決できれば戦争は要らん」ってのが気になってる自分には、熱出して寝込んでたけど見て良かったと思えた1本でした。

 キリスト教の聖地エルサレム。しかしそこはユダヤ教、イスラム教の聖地でもある。この地がイスラム王朝に支配されていることを良しとしなかった時のローマ教皇庁は十字軍を募り、聖地奪還を目論む。聖地を穢す異教徒を殺せば、現世での罪を赦されるとして(そんな馬鹿な、とは思うがこの時代は本気で信じられていたらしい)、ヨーロッパ中から大軍が遥かなその地を目指した。そんな時代が続く中、神聖ローマ帝国皇帝に担ぎ上げられた若干20歳のフリードリッヒ二世。彼は皇帝として教皇庁に十字軍を率いての聖地奪還を誓うが、彼の生い立ちがそれを阻むことになる。

 地中海に浮かぶシチリア島。シチリア王国の王子として生まれた彼は、その土地柄、イスラム、ギリシャといった異なる文化に慣れ親しんで育った。新皇帝の身辺を探るべくイスラム王朝の君主アルカーミルは彼にまず使節を送ったが、フリードリッヒは自らアラビア語で信書をアルカーミルに送った。二人は自然科学や幾何学のやりとりを楽しみ、フリードリッヒはアルカーミルから贈られた天体観測器を「息子の次に大事」と言うほどだった。

 教皇庁に出陣を命ぜられ、一度は出立したフリードリッヒだが、船内にチフスが流行、彼も病に倒れ引き返す。その結果教皇庁の怒りに触れて破門を言い渡され、窮地に立ったフリードリッヒは、和平を模索する。長い交渉の末和平条約が結ばれ、聖地に平和が訪れる。

 和平条約の内容は、エルサレムはキリスト教徒の手に渡るが、イスラム教の聖地・神殿の丘はイスラム教徒のもの。しかしイスラム教の尊厳を重んじる者であれば、キリスト教徒でも立ち入りは許されるというもの。互いの宗教を尊重しあい、共存を図っているのだ。そして、十字軍のような武力行使に対しては、ローマ皇帝はそれからイスラム王朝を守るとまで書いてある。フリードリッヒとアルカーミルの親交の深さからの相互理解によるものなのだろうが、あの中世にここまで開かれた考え方を持つ王が居たというのが、ちょっと信じられないくらい。エルサレムに足を踏み入れたフリードリッヒは神殿の丘を訪れるが、イスラム教徒が彼に配慮して祈りの歌を止めると、それを良しとはしなかった。彼のイスラムへの理解は、心からのものであったのだ。

 しかし、二人は自らの属する世界からは異端視され、孤独を味わうことになる。条約締結から9年後アルカーミルは死去、後継者はその路線を踏襲せず、その翌年平和は打ち砕かれる。再びイスラム教徒の手に落ちたエルサレムを奪還すべく十字軍が結成されるが、これとフリードリッヒはその生涯戦い続け、そして彼の死後も十字軍がエルサレムを奪還することはついになかった(十字軍が廃止される経緯は忘れた)。

 2000年になって、ローマ法王は十字軍という名の暴力への許しを乞う声明を発した。しかし、フリードリッヒの破門は未だ解かれず、彼の功績も歴史に埋もれたままだ。棺に納められた彼が纏っていた服の袖には、アラビア語でアルカーミルへ向けられた言葉が刺繍されている。「勝利者よ」と友を称えるその言葉を手に彼岸へ渡った彼は、その狂気のない世界で友と語り合っているのだろうか。

 中世のほんの一時、聖地に訪れた平和。それから900年あまりの時が過ぎ、今もまた聖地には、平和を求める祈りが続いている。悪いのは宗教ではなく、人々の信仰心を利用する政治なのだ。冒頭、イスラエルの首相(だったかな)が、交渉の大切さを口にはしているが、トルコなどでのユダヤ教礼拝所へのテロはイスラエルという国そのものが「世界平和の脅威になっている」と認識されているという世論もあって、この土地は本当に一筋縄ではいかんとは思うのだけれど……祈りというものはどの神様を信じていようと本質は変わらないはずだ。この歴史に学ぶべきことは、今だからこそあるのだと思う。

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