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2003.12.03

「その時 歴史が動いた」日米開戦を回避せよ

 詳しくは公式サイト。再放送は12/11(木)25:35他。来週は今年もこの季節ってことで忠臣蔵。

 1941年11月。日米開戦回避に向け、日本の東郷外相はインドシナ撤退と引き換えに石油輸出と中国への不干渉を求める妥協案を提示、日独を相手にするにはあと3ヶ月の準備期間が欲しい米側もそれに応じた妥協案を用意していた。

 米側のハル国務大臣は妥協案を認めるよう同盟国にギリギリまで働きかけていたが、日本と4年も戦ってきた中国の蒋介石は、米国の妥協があっては中国は崩壊するとして、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相に電報攻勢を掛ける。「日本に石油を1滴売れば、中国の兵士の血が1ガロン流れる」のだと。ドイツに苦戦していた英国のチャーチルも、米国が参戦すればドイツに対抗できるようになると考え妥協を拒否する。

 チャーチルの言葉を受け取ったルーズベルトの元に、軍部から連絡が入る。日本が大輸送船団を南下させていると。それは誇大報告だったのだが、ルーズベルトは「片方の手で握手を求めながら、片方の手で短剣を突きつけている」ような日本を最早信用できないとして、妥協の撤回を決める。その結果提出されたハル・ノートは、米国の強硬姿勢を示すものであり、中国及びインドシナからの、日本軍・警察の即時撤退を求めるという、日本軍部が到底受け入れられない要求だった。そして12/8、真珠湾攻撃により日米開戦となる。

 まぁ何つーか、日米がそれぞれの都合で戦争を回避しようとしても(米国は3ヶ月先送りするだけのつもりで開戦は必至だったが、3ヶ月後にはドイツとソ連の力関係が変わることになる)、その周辺の中国や英国の事情がそれを許さなかったということで。東郷外相は米国の妥協案を暗号傍受で知っていたから、中国の動きも静観して米国を刺激しないで居たのに、結局は蒋介石に乗せられたことに。つーかその最後の米軍の誇大報告って何って感じですが。3ヶ月待たずに叩いてしまおうってことだったんだろうか。何かアの国って今も昔もとか思ってしまいましたが。でもそもそもは、日本の独善は決して容認されるものではなかったということだし。今現在にしてみても、何かにつけ日米同盟が、なんて言ってる首相がどーにも近隣諸国の神経を逆なでするような行動に出るのってどうなのよって思うんですがね。

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