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2003.12.10

「その時 歴史が動いた」忠臣蔵・お裁き始末記

 詳しくは公式サイト……にその内出るんじゃないかと。

 何せ昨年来密かに忠臣蔵ブームだったんで、やはりこれは見ないとと。今回は討ち入り後、将軍綱吉が赤穂浪士に切腹を申し付ける決断に至るまでのお話ですが、ざっとまとめると状況はこんな感じ。

 【赤穂浪士】 上野介を討ち取ったがその場では切腹せず、幕府の沙汰待ち。
 【世間民衆】 「赤穂義士」として忠義を讃える風潮が盛り上がり。だって何しろ犬公方気に食わんし。
 【将軍綱吉】 忠義を柱に世を治めてきたはずで、果たして切腹させて良いものか悩み中。
 【幕府内部】 いやでも赤穂浪士のやったことって夜盗まがいのことで武士のやることとちゃうやん、との空気。将軍の前での60人余りの投票でも、流刑1、永にお預け1の他は示し合わせたように「特に意見なし」として責任回避、柳沢吉保なんて白票で将軍にお任せ。将軍は切腹しかないと決めていた。だが、それでは義を軽んじないかと悩んでいた。

 で、悩める将軍に、江戸城を訪れた法親王が曰く、「忠義の士となれば、二君に仕えぬもの。切腹は寧ろ彼らの本懐」。それで切腹申しつけが決まったが、確かにその武士としての死は大石らの望むところであった。しかし、申しつけの際に密かにもたらされた一言――吉良義周が討ち入りの際の不手際を理由に、領地召上の上お預けとの沙汰が下ったという。吉良家への処罰こそ、大石らが本当に望んでいたものだった。大石の辞世の句は、本懐を遂げた清々しさが感じられるもの。彼らは上野介を討っただけでなく、吉良家へ将軍が「正しい」判断を下したのだと知って、主君の下へ赴いたのだ。

 ……ってさぁ、本来なら松の廊下の際に喧嘩両成敗となっていなくてはならなかったのに、こんな形で今更両成敗かよ。という感想は、清水義範「上野介の忠臣蔵」(文春文庫)読んだ時もそうでしたけど。ま、そう言う世の中だったから仕方ないんだけどさ。

 しかし、一つ判断を誤ると、民意は為政者の思惑を外れて大きくなって、より困難な判断を迫られるっていうのは今でも通じる教訓のはず。だからもっと早い段階で慎重に判断しなきゃいけなかったのにさー、今更にっちもさっちもいかんじゃんね。つてもこの件と同様、派遣は最初から決まっていたんだけどさ。

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