トラックバックかコメントか・3
世間では「なりすましトラックバック」なんてものまで出てきていますが、まずは宿題を提出したいと思います。頂いたコメントに逐一頷くばかりでは芸がないもので、ちょっと違う方向から書こうと思っていたところへ、丁度こんな記事が出ていました。
議論になってるとき、あっちのblogこっちのblogにまたがっているより、1つの掲示板にすべてまとまっていた方がよくはないのだろうか?
自分としては、その「複数のblogに議論が広がること」こそがトラックバックの醍醐味だと思うのです。
記事に対するコメントは、その記事中で完結することを余儀なくされます。コメントの内容が記事と逸れてきたのであれば、新たに記事を起こすのが賢明です。ですが一つの話題を深めるにはいい方法で、先のいかんともしがたいさんの「コメント=友達」「トラックバック=友達以上恋人未満」という言葉は、it1127さんとのコメントのやりとりであればこそ出てきたものだと思います。
対してトラックバックというのは、複数のblogに広げられるだけでなく、広がった議論を収束させることも出来ます。図にしてみるとこんな感じでしょうか。
NetNewsとNIFTYのフォーラムと個人サイト(の掲示板)とを経験してきましたが、トラックバックによる議論の展開は、NetNewsでのクロスポスト+Followup-Toによる展開と、(その場が個々に用意されているという点で)個人サイトでのやりとりとを組み合わせた印象があります。ココログのコミュニティとしての居心地はフォーラムを思わせるものなんですが(^^)
トラックバックがそれまでのものと違うのは、サーバーと時間とを軽く飛び越えることではないかと思います。サーバーが分散されているため、保存されている限り過去の記事に、受け入れられている限りトラックバックを送ることも可能なのです。元記事のblogでは終息した話題があっても、今自分のblogでhotな記事からトラックバックを送ることで、過去の話題を辿っている閲覧者に、今の議論の場を提示することが可能になるのです。一つのサーバーであればスレッドを追う事である程度議論の下流が見えますが、複数のサーバーに分散しているblogでの議論の下流を容易に示すことが出来るのがトラックバックというものではないかと。
ただ、トラックバックもコメントの一種という考え方もあります。それはそれで良いとは思うのですが、トラックバックがコメントと異なるからこそ、使い分けに悩む人もいる訳で。気持ちの上で線引きをするのも良いのですが、こうしたシステムとしての違いというのも線引きの一助になるのではないかと思うのです。深めたいならコメント、広げたい・収束させたいのならトラックバックと。
さて、先の「いかんともしがたい: トラックバックを受ける側の心理」において語られている「トラックバック=招待状説」に対しトラックバックされている「it1127の日記 : ■コメント・トラックバックのソリチュード[solitude]」には、こう書かれています。
つまりトラックバックするときは、相手に対して尊敬の念を示しなさいってことだと思いました
招待状を出すには、受け取った相手をもてなす気持ちが肝要であり、それはつまりは元記事の書き手とその読み手とを含めた「自分の記事を読んで欲しい相手」に対する敬意から生まれるものであると。どちらも至言であると思えます。この敬意とはトラックバックをする、コメントをつけるというだけでなく、そもそも記事を書く段階で必要なものではあるのですが、トラックバックによって議論を広げることは、自分のblogの中だけで完結するものではなくなるのだという認識は持っておきたいものだと思いました。
#で、3件の文中リンクに対してトラックバックすることで、3件の記事へまとめてコメントすることが出来る訳ですね。うち2件は相当時間が経ってしまって申し訳ないのですが、「ようやく自記事書けました。本当にありがとうございました」という気持ちを込めて(_o_)
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コメント
こんにちは。トラバありがとうございます
>相当時間が経ってしまって
といっても、たった10日あまり、まだまだ旬ですよ。
「ウェブログ=毎日更新」という神話がある所為でしょうか
か
1日たったらもう古いような言い方をされる方を時々見かけます。その度に「そうかなぁ~」と思います。だって人間が感じたり考えたりすることは、2千年前のギリシャ時代に言われていたことと全く変わらないし、いまさら、今更って、「今更でないもの」なんて何もないじゃないのと思っています。もちろん「新しいツール」とかの話は別ですけどね。昔はなかったわけですから。でも人間の思考・感覚についての話は今も昔も東も西も変わらない。すなわち、時間空間を越えているわけですね。それがトラックバック[時間空間を越えて行われるもの]であったり、コメント[空間は越えず、時間だけ越えて行われるもの]であったりするわけです。
>こうしたシステムとしての違いというのも線引きの一助になるのではないかと思うのです。深めたいならコメント、広げたい・収束させたいのならトラックバックと。>
あれから、新に気づいたことは、物理的側面でした。
コメント=その記事に付加されるテキスト
トラックバック=その記事に付加されるリンク
なのですね。当たり前といえば当たり前なのですが見落としていました
そういった物理的特性がもたらす現象を「しののめ」さんが「むいむい星人」ならではの俯瞰の目で描写した記事とわたしは受け止めました
同時に、特に何かを言おうとするわけではないのですが、イメージとして、トラックバックが織りなす現象はカオス[拡がり]-->コスモス[収束]-->カオス[拡がり]のプロセスを連想します
まるで、記事[分子・原子]の化学反応を見ているようなイメージです。記事と記事が適度に結びついた有機記事体が元の記事になかった性質を見せてしまうことなどを創造してしまいます。なんだか新しく記事を書いたほうがいいのかな。書いているうちに雑記帖になってしまったよ。このコメントは
投稿: it1127 | 2004.02.24 18:13
>it1172さん どもです~。
1週間くらいなら何とかとは思いますけど、2週間ともなるとなぁと思ってしまいました。コメントは空間を越えないというのも御意にて。
物理的側面を俯瞰というのも、またまた~(^^* とも思うのですが、言葉の魔術師なお方からのものですからありがたく頂戴しておきます。
> トラックバックが織りなす現象はカオス[拡がり]-->コスモス[収束]-->カオス[拡がり]のプロセスを連想します
これもまた唸ってしまいますね。化学反応というのも面白いです。コメントが組紐なら、トラックバックは織物なのでしょうか。同じ言葉を紡いでも、出来上がるものの色合いは異なるものかと。
ほんと趣のあるコメントをありがとうございました(^^)
投稿: しののめ | 2004.02.24 23:25