トラックバックは誰のために
トラックバックはこうしなくてはナラナイ、という明確な規定があるという訳ではなく、しかし暗黙の了解にも限度があるのは人の性。確かに個々のblogでは「私が法律」と言えるだろうし、しかしそれはあくまで個々の意見でしかなく、他者を束縛するものでもないと思える。送り手と受け手と第三者の読み手とが存在するトラックバックは、果たして誰のためのものなのか。それを考えたら、トラックバックをどう扱うかについては自ずと答えは出るような気がするんですが、それとても人それぞれ。だからblogは面白い。
■ARTIFACT ―人工事実― | TrackBackによってあなたの評価は上がってますか?
ただうなづいてるだけのトラックバックは、送り手の評価を下げるようなもの。というこの記事へのトラックバックにはさすがに色々な意見があり、それぞれに興味深いです。下記の記事へのコメントに、「改めて書いた」とあり、その意味ではこのタイトルはやはり手練であるなぁと。
■Intermezzo:TrackBack先のサイトを見に行ってがっかりする
追記に追記を重ねられて示唆に富みます。自分としては、その記事への言及がリンク+1行うなづきのみであっても、その1行に他では見られないものがあったり、他の記述が有用であれば、トラックバックを辿ってきた人をがっかりさせないものではないかと思います。
自分に近いなと思えたのがこちらでした。はい。小心者です。
トラックバックで繋がることで情報が広がるのは確かにblogの有効な使い方ではあるとはいえ、その情報はトラックバックしてまで広げるべきものなのかどうかということは、ある程度blogに慣れたら考えても良いものかとも(初心者はトラックバックの面白さを覚えるのが先かなと)。blogなんてノイズばかりだ、という見方もあることですし。ま、胸を張ってトラックバックできるような記事を書くようにすれば良いという言い方もできますが。
■SH@DE STYLE BLOG: 私とブログとトラックバック
情報量の少ないトラックバックを削除するのは、情報を発信したblogの質を高めることになる。「評価」が問われるのは、トラックバックの送り手ではなく、受け手がどう選別するかということになるのかも。勿論、削除された側は面白くないだろうけれど、第三者の読み手としては、有用なトラックバックだけを拾えるのなら有難い。
ま、ある意味ではこの自記事も第三者の読み手の視点で「有用と思えたトラックバック」を拾った結果になってるんですが。
トラックバックについてはこちらも参考になります。
あと手前味噌ですが、今年の2月頃はこんな記事が飛び交っていましたという記録。
■トラックバックを考えるリンク集
■トラックバックを考えるリンク集・2
という訳で、この記事が「がっかりする」ようなものでなければいいのですがと思いつつトラックバックさせていただきます。←もっと自信を持ちましょう。
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