長崎原爆の日、同時に鐘の鳴る小倉。
8/9は長崎原爆の日。NHK長崎の「体いっぱいで原爆を語り継ぐ」を見る。昨年の平和祈念式典で、ろうあ者の被爆者代表として手話で平和への誓いを述べた山崎栄子さんのその後の1年を追った番組。聞こえないが故に長年原爆の真実を知らずにいたが、だからこそ77歳の今も語り続けている彼女が全身で語りかける手話は、単なる言葉を越えて、画面を通してまでその空気の震えを伝えてくるものだった。
「もし長崎でなく小倉に原爆が落ちていたら、生まれていなかったかも知れない」と母に聞いたことがある。8/9の第一目標は小倉の造兵廠。母の生まれた下関は、そこから5km程しか離れていない。この距離であれば直接の被害は免れたかも知れないが、長崎型の原爆は広島型の約2倍の威力と言われており、海を渡り遮る物がない地形では、何らかの被害が及んでいた可能性も考えられる。実際、先の長崎の山崎さんは投下時刻に爆心地から6km離れていたが、地面から突き上げる衝撃は凄まじかったという。小倉が目標とされた理由の一つには、海底トンネルの存在を指摘する声もあり、そのことを考えると、対岸の下関に何が起きていてもおかしくはない。
小倉に投下されなかった理由は、当日の天候不良だとよく言われており、自分もそう思っていたのだが、今回調べてみて、視界を遮ったのは雲だけでなく、前日の八幡空襲の煙も加わっていたことを知った。原爆投下目標とされた小倉は空襲対象から除外されたが、原爆投下が極秘事項であったために、すぐ隣の八幡は空襲を受け、そのために小倉に投下できなくなったというのである。それでも小倉では3度投下が試みられたが断念、燃料も残り少なく沖縄への帰路に長崎を通り、海に捨てるくらいならと、雲間からわずかに覗いた長崎の市街地に1度の侵入で原爆は投下されたのだという。小倉の造兵廠跡の勝山公園にある「長崎の鐘」は、長崎への原爆投下時刻に合わせて鎮魂の音を響かせるという。
今年の長崎の平和宣言は「はたして世界のどれだけの人が記憶しているでしょうか」と始まり、米国をはじめとする世界の市民に核廃絶を訴える内容となっている。米国への呼びかけは、それが原爆を投下した国だからではなく、今も核の威力に固執している国だからだ。唯一の超大国であるのなら、本来は率先して核廃棄を行い、世界を導く役割を果たすべきなのだ。それをせずに、「大量破壊兵器所持疑惑」だけで戦争を仕掛けるという現状を、恥ずかしいとは思わないのだろうか。
そんな祈りの日に、美浜原発の事故で4人もの方が亡くなった。NHKのリポーターが原発を原爆と言い違えていたが、放射能漏れがなかったから良かったという事故ではないはずだ。亡くなられた方の冥福を祈りつつ、原因究明を待ちたい。
長崎と小倉
■戦捜録:投下!~小倉上空10時44分~ 小倉から長崎へ投下目標が変更された経緯についての詳細。「八幡への記念爆撃」という事情についても。
■おとうさんといっしょ: 長崎原爆記念日 八幡空襲について。
■No Blog,No Life!: 「プルトニュウムの恐怖」 「長崎の鐘」の歌などについて。他の記事も興味深いです。
原爆一般
■原子爆弾
■原爆はなぜ投下されたのか
■原爆投下(げんばくとうか) 小倉と海底トンネルについて。
■平和について考えよう!:被害状況 広島・長崎の被害状況を地図で比較。
■原爆投下容認論への反駁 マッカーサーの証言など。
■~ふぐ屋、風と共に去らぬ~: 朝日新聞を読む 経由 ジャスミンの徒然日記:原爆記念日。。長崎 イギリスでの報道に唖然。「はたして世界のどれだけの人が……」の声は届くのか。
■長崎平和宣言 英語版もあり。
■「原子力大国」フランスでも大きく報道 美浜原発事故 - asahi.com
■NHK広島放送局 - 平成16年(2004年)夏「ヒロシマ」特集番組 今週はNスペなど。
関連記事
■Nスペ「復興~ヒロシマ・原子野から立ち上がった人々~」
■その時歴史が動いた「さとうきび畑の村の戦争」 8/12(木)26:05~再放送←中止
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コメント
初めまして。
トラックバックありがとうございます。
私もこの事実は最近知りました。
私の両親は二人とも八幡で、しかも限りなく小倉に近いところでした。八幡での空襲もひどく、小倉の原爆断念の話とは別に戦争の恐ろしさ、愚かさを幼少期に教わりました。
間接的ではあっても子々孫々まで語り継いで風化させないようにしたいですね。
あらためて、黙祷。
投稿: ボス | 2004.08.10 14:13
トラバ、ありがとうございました。(^-^)/
soroも、長崎の伊藤市長が、世界各国の
権力者ではなく、アメリカをはじめとする世界の市民
に向かって核廃絶を訴えたのはよかったなあと
思っています。^^V
投稿: soro^^ ~ | 2004.08.10 16:22
トラックバック有難うございます。
原爆。。広島や長崎の他にも、小倉。。そして、
呉など幾つかの投下候補地があったそうですね。
(原爆関係の本を読んで知りました。)
「大量破壊兵器所持疑惑」でイラク戦争に参加した国々
を批判するつもりはないですが。。
「戦争を仕掛けたアメリカや英国だって、大量破壊兵器を大量に保有してるでしょう?それなのに、何で 他国の事を言えるのか。。自分のやってる事を棚に上げ。。」あの戦争が始まった時は、そう疑問に思ったものです。
話がそれてしまいましたが、
原爆投下などという事態はもう2度と起きて欲しくないです。
投稿: ジャスミン | 2004.08.10 20:50
>ボスさん&soro^^ ~さん&ジャスミンさん
皆様ご丁寧にコメントありがとうございました。
八幡にせよ長崎にせよ、どれだけの方が亡くなったかという人数の問題などではなくて、どうして殺されなくてはならなかったのかという理由の問題が大きいと思えるのです。「大量破壊兵器」にしても、結局は「大量殺戮兵器」な訳ですが、大量殺戮が出来るからいけないというのではなくて、そもそも人を殺すことがいけないはずなんですが、何故か人数の問題ばかり大きく取り上げられてしまうのが気になっています。
それにしてもあれだけの人が死んでもう59年も経ってるのに、まだ人が殺され続けている世の中が痛ましいばかりです。
投稿: しののめ | 2004.09.07 14:03
黙祷。
投稿: 長崎県民 | 2005.08.09 11:06
>長崎県民さん
60年目の今年も、長崎への投下時刻である11時2分に手を合わせました。毎年そうではあるのですが、今年はまた改めて考えさせられることが多いと思います。
投稿: しののめ | 2005.08.10 13:26
今年2008も原爆の日がめぐってきた。
思い込みかもしれないけれども
私は北九州の出身で
母は当時の八幡(やはた)市枝光(えだみつ)
現在の北九州市八幡東区枝光で生まれ育った。
もし小倉に原爆が投下されていたら
現在の私は存在してないと思い込んでいる。
母は昭和12年の生まれだから今年74歳かな?
小倉に原爆が投下されようとした前日に
八幡大空襲
があったために長崎が身代わりに。
そう考えると複雑な想いです。
しかし母の年代の人たちの中には今でも
「小倉造兵工廠ではなく
官営製鐵の八幡、
(現在の新日本製鐵八幡)が狙われたんだ」
という説が根強いように感じます。
母方の祖父は八幡製鐵所の
伍長(班長?)でしたからね。
何しろ敷地内の線路だけで門司から鹿児島までの総延長がある敷地のひろさなんですから。
(http://erokappa.blog104.fc2.com/blog-entry-131.html)
投稿: 工ロ河童 | 2008.08.10 15:58
>工ロ河童さん ありがとうございます。
確かに官営製鐵の八幡の方が目標としては大きいのですよね。
ただそうすると直前の八幡空襲と小倉の関係はどうなのだろうかとも。
63年前ともなると真実が遠くなってしまうようにも思えます。
2008年の今年、新聞の投書欄で印象に残ったもの。
交換留学先の米国で、原爆について肯定的に語る教師に対し、
その非人道性などを説き、原爆はあってはならないものと訴えたという高校生。
被爆国の人間として確かな知識とそれを説くだけの語学力とを持つ高校生と、
後にその生徒をフォローして違う立場で歴史を見ることを説いたというその教師に、
未来はこうして託されていくものだと感じ入りました。
今年の平和宣言は核保有国での非核化の動きを後押ししたいという想いがあり、
それを世界に広めていこうとする若い世代の言葉も印象に残りました。
忘れないことと、考えること、伝えること。そこから全ては始まるのでしょう。
投稿: しののめ | 2008.08.13 22:14