« その時歴史が動いた「さとうきび畑の村の戦争」 | トップページ | ロボドリーム2004 TOP100公式発表 »

2004.08.07

Nスペ「復興~ヒロシマ・原子野から立ち上がった人々~」

 アメリカ国立公文書館で発見された、被爆直後の広島の航空写真。米軍が原爆の威力を調査する目的で撮影したものだが、期せずしてそれは広島の復興を記録するものとなった。航空写真の立体視像をCGで作成し、当時の光景が3DCGで再現される。原子野と呼ばれた荒野に焼け残った建物は救護所となり、そしてそこに立てられるバラックは復興の拠点となっていく。

 今回使われた航空写真の撮影日は、昭和20年7月25日、8月8日、8月11日、昭和22年4月11日。被爆前と2日後で歴然とする変わり果てた姿。8/11の写真には被爆直後の川を遡る船が写っていた。日本軍・暁部隊の大発とよばれる揚陸艇である。両岸が燃え盛る爆心地へ赴き、野戦病院が出来た似島へ被災者を運ぶなど救援活動に奔走した。8/8の写真と比べると、8/11に撮影された写真には、道が通れるようになり、テントが張られるなど復興の第一歩が写されていた。

 遺骨を拾った焼け跡から一時は離れながらも、原爆ドームの近くで芽吹いた緑に勇気付けられてテントを張り、そして市営住宅の斡旋を受けて食料品店を再建し、朝から日没まで食糧配給に明け暮れた人がいる。庭石だけが残る我が家にたどり着いた薬学生は、亡くなった父を継ぎ家業の薬屋再建を誓う。

 復興顧問として広島に赴いた米兵。都市工学の知識を生かしたいと志願した彼は、広島の惨状と人々の復興への思いから、復興にはアメリカの支援が必要だと訴えるが、米軍はこれを無視した。原爆を投下し、その威力を調査することには腐心しても、広島の復興は占領軍のすることではないというのだ。

 広島市役所の職員は「むしろ生きたことをのろう」と手記に綴りながらも、救護所から市役所に通い、復興局の課長として働いた。「この戦争は間違っている、そう言って牢に繋がれた人が居た。自分はそうできなかった。ごめんな」と娘に語り、自分が復興させた広島を受け継ぐのは娘の世代なのだと説く。当時の米軍は原爆の被害の大きさが広まることを危惧し、原爆に関する言論を制限していた。その中で昭和22年、第一回平和祭が催される。平和宣言の作成に携わった彼は、そのことで逮捕されることも覚悟し、子ども達に宛てた遺書を残した。そうまでして書かれた平和宣言には、「戦争の惨苦と罪悪とを最も深く体験し自覚する者のみが苦悩の極致として戦争を根本的に否定し、最も熱烈に平和を希求するものである」と綴られていた。

 平和記念資料館には、原爆投下の翌日、原子野に掲げられたという旗が保管されている。血のりのついた布に、焼け跡の炭で書かれた「復興」の文字が記されている。

 以下感想。確かに原爆投下による大量殺戮という悲劇はこの上ないものだが、残された人々が「生きなければならなかった」悲劇というのも想像に余りあるものだ。「70年草木も生えない」と言われた死の都で復興を果たそうとする人々の血と汗の結晶が、今の100万都市・広島の姿だ。土地の権利がどうあろうとも、空き地を畑にして食糧危機を乗り切ろうと呼びかける市の広報。今でこそ残留放射能の問題が脳裏を掠めるが、当時の人々は生き抜くのに必死だったのだ。

 平和宣言を書くのに遺書を残した復興局課長。戦時中は国家が、そして戦後は占領軍が言論を封じる中、その覚悟たるや計り知れない。彼が今の日本を見たら、何と思うのだろうか。8/6の広島で発砲事件など、信じられないことだろう。

 また番組では語られていないが、米軍復興顧問の26歳だった彼は、広島を壊滅させた母国の支援が受けられないことで無力感を感じたかもしれないが、それでも自分にできることを精一杯やったのだろう。そう思いたい。第一回平和祭の写真には、米軍人の姿も見えるが、平和宣言を読み上げる市長の後ろで、大きく脚を組んで座っている。市長に対する敬意が感じられないと思うのは自分が日本人だからだろうか。それとも占領軍というのはああいうものなのだろうか。「クローズアップ現代」の8/4放送分は「終わりなき核被害~50年目のビキニ事件~」で、ここでも治療ではなく調査のために医師を派遣したアメリカについて報じられていたが、何もこの問題は半世紀前のものではなく、今もそこにある疑念であり、問い続けなければならないものだろう。

 59年目を迎えた今年の平和宣言にはこういう文言がある。

私たちの目的は、被爆後75年目に当る2020年までに、この地球から全(すべ)ての核兵器をなくすという「花」を咲かせることにあります。そのときこそ「草木も生えない」地球に、希望の生命が復活します。

 「草木も生えない」のだ、今の地球は。この感覚は広島に生きる人だからこそのものなのだろう。9日は長崎原爆の日。

 Nスペ公式を見る限り、再放送の予定は現在のところ未定。
 来週のNスペは、13日「一兵卒の戦争」、14日「遺された声 ~録音盤が語る太平洋戦争~」、15日「子どもたちの戦争 ~戦時下を生きた市民の記録~」というラインナップ。この他の関連番組についてはNHK広島放送局の特設ページが詳しい。

NHKスペシャル公式
NHK広島放送局 - 平成16年(2004年)夏「ヒロシマ」特集番組
Yahoo!ニュース - 広島・長崎原爆
広島平和記念資料館WEB SITE
平和宣言(広島) 過去全ての平和宣言が掲載されています。
長崎平和宣言

関連記事
長崎原爆の日、同時に鐘の鳴る小倉。

|

« その時歴史が動いた「さとうきび畑の村の戦争」 | トップページ | ロボドリーム2004 TOP100公式発表 »

NHK」カテゴリの記事

戦争を考える」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。突然の書き込みですみません。ヒロシマについて調べているとこのページにきました。実は「復興」の再放送を夜中にたまたま見たため録画をしていないのです。あの番組をもう一度見たいのでNHKに問い合わせたのですが無理でした。このページを見て管理人さんなら録画されているのでは?と思い書かせて頂きました。もし、録画されていましたら、是非、ダビングさせてください。よろしくお願いします。

投稿: 島居佳子(しますえけいこ) | 2004.10.25 23:03

>島居佳子(しますえけいこ)さん

 是非ご覧いただきたい番組ではありますが、残念ながら致しかねます。このような依頼では、無断複製した人が著作権法違反になります。詳しくは下記をご覧ください。

■ダビングしての一言が怒られる本当の理由
http://www.ml-info.com/weekly/archives/2003/030530t.html

 NHKの回答としては、下記が参考になるかと思います。再放送やNHKアーカイブスへの収録が行われると良いですね。
http://www.nhk.or.jp/archives/qanda.htm

 なお上記のページ内のNHKアーカイブス(施設)へのリンクは、現在下記のURLになります。
http://www.nhk.or.jp/nhk-archives/

投稿: しののめ | 2004.10.26 10:08

ありがとうございました。
何も知らずにコメントを送り申し訳ありませんでした。ほんとうにすみません。また、いろいろなやり方を教えて頂きありがとうございます。早速、アーカイブスというのに尋ねてみます。

投稿: 島居佳子(しますえけいこ) | 2004.10.28 23:28

>島居佳子(しますえけいこ)さん

 こちらこそ、ご期待に添えずにすみません。
 NHKスペシャルは再放送も多いので、リクエストするのも手だと思います。ご覧になられる機会が得られますように。

投稿: しののめ | 2004.10.31 14:00

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/4985/1139587

この記事へのトラックバック一覧です: Nスペ「復興~ヒロシマ・原子野から立ち上がった人々~」:

» 朝日新聞を読む [〜ふぐ屋、風と共に去らぬ〜]
長崎原爆の日、核兵器廃絶を米市民にも呼びかけへ - asahi.com : 社会 [続きを読む]

受信: 2004.08.09 19:47

« その時歴史が動いた「さとうきび畑の村の戦争」 | トップページ | ロボドリーム2004 TOP100公式発表 »