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2004.09.15

宅間死刑囚、死刑執行

 つい先日、ドラマでの死にたくない死刑囚の話を書いたばかりだというのに(ネイビーファイル#98「死刑囚の生と死」)、現実世界で死にたがった死刑囚の死刑が執行されてしまいました。6ヶ月以内に執行すると定められているのだから、執行しなければ訴えるとまで言っていたそうなんですが、本人がそう言っていたとしても……胸に重いものが残ります。

 先の記事でちらっと引いた、《RELAX》の「ペナルティー・マリア」。この舞台では、やはり死にたがる死刑囚が描かれたのですが、彼女が言うには、自分が死んでも彼女が殺した被害者の遺族の悲しみや怒りは消えることはないのだと。自分の死刑が執行されることで復讐が完成することを望むほどに追い詰められた女性の苦しみを汲んだ弁護士は、終身刑への減刑を勝ち取ることになります。

 しかし宅間死刑囚の場合はそのまま死刑が執行された、しかもこんなにも早く執行されたことで、ぷっつりと事件が終わらされてしまったという印象が強いのです。この死刑執行で何かを得たのは、望みどおりに死んだ本人と、彼を生かし続ける必要がなくなった国くらいではないかとさえ思います。尤も遺族の中には、異例の早期執行を是とする声もあるようですが。しかし、類似する事件も続く中、もっと多くのものを得たかった。そう思ってしまう部分もあるのです。

 今回もう一人執行されたのが、11の罪に問われ、99年に死刑判決が出た死刑囚。こちらは5年待ち。10年以上待たされている場合も多いそうですが、執行は早まっているのだとも。しかし死刑が確定してしまうと、矯正教育の対象外とされてしまうそうで、希望すれば宗教教誨が認められる程度、面会や手紙のやりとりも近親者や弁護士に限られるのだそうです。それはそれで「鉄格子の中に閉じ込めておけば彼はもう罪を犯さない」という先のネイビーファイルでのマックの言葉通りだろうけれど、言ってしまえば檻の中に放置されてただ死を待つだけの日々。その日々から死刑囚を救えるのは死だけかも知れないという果てしない絶望。宅間死刑囚と獄中結婚をし、限られた面会を重ねた女性の胸中は計り知れません。

 ふうこさんもやはり複雑な心境のご様子で、そうですよねぇ。などと申し上げてみたり。「死刑囚は殺せばお仕舞い」と言い切ってしまうことは出来ず、かといって、ならどうすれば良いのかなんてことも言えず。ただ言えることは、たとえ彼自身が望んだ死刑であり、裁判所が下した死刑判決であったとしても、その死には酷く重い意味があるのだということだけです。彼に殺された無垢な命と、それは同じ重さなのではないかと思います。

 そしてまた今日も、幼い命が奪われたニュースが飛び込んできます。何故人を殺すような恐ろしい真似ができるのでしょうか。自分には分かりません。

 早すぎた死刑執行 へ続く。

大阪・池田小事件の宅間死刑囚に死刑執行 確定後約1年 - asahi.com : 社会
凶行3年消えぬ傷 遺族「何も変わらぬ」 - asahi.com : 関西

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» 刑罰は誰のものか [the world loves the wannabees.]
 もはや遅きに失した感もありますが、一応自分の中でのまとめはこうなりました、ということで。 宅間元死刑囚の刑執行について書いた記事に... [続きを読む]

受信: 2004.10.14 18:55

コメント

死刑執行、当然のことながら
凄く難しい問題をはらんでいると思います。
宅間がどういう感情を持ち今まで過ごしてきたかは分かりません。
彼を殺しても悲しみは癒えないでしょう。
しかし、死刑執行によってすこしでも遺族が救われるのであれば、
それはそれで価値があることだと私は思います。
宅間であれ、被害者であれ、遺族であれ、弁護士であれ、
とにかく自分が当事者、関係者だったとしたらゾッとします。
同じ過ちを繰り返してはいけません。
社会に適応できない人間(不可避)をどう扱うのか、
監視していく制度を作るのか、人権に配慮すべきか。
緊急に話し合いをして、法律を制定する必要があります。

投稿 タツヤ | 2004.09.16 01:34

>タツヤさん ありがとうございます。

> しかし、死刑執行によってすこしでも遺族が救われるのであれば、
> それはそれで価値があることだと私は思います。

 我が子を殺した人間がまだ生きているのが許せないという遺族もおいでですしね。
 でも遺族の全てが納得できる執行でもなかったようなのが難しいところです。

> とにかく自分が当事者、関係者だったとしたらゾッとします。

 これも本当にその通りですね。何も考えられなくなりそうな気がします。
 だから考えていられる時に、考えておきたいこともであると思います。
 既に今回は執行されてしまいましたが、まだ執行を待つ死刑囚は居るのですから。

投稿 しののめ | 2004.09.17 16:34

宅間死刑囚と獄中結婚した女性は死刑執行前の彼と何度か会っていると思いますが、彼女の口から彼女が得ることができた宅間死刑囚の心境を聞く機会がないものかと、思います。

何か、人間として彼の真実、奥底に少しでも接しなければ、やり切れない虚しさだけが私には残ってしまいそうです。

投稿 なな | 2004.09.19 04:46

>ななさん コメントありがとうございます。

 彼女もまた「遺族」となってしまった今は、そっとしておいてあげたいようにも思います。因みにasahi.comの記事ではこう書かれています。

■死刑執行の宅間死刑囚、刑確定後も謝罪の言葉語られず - asahi.com : 社会
http://www.asahi.com/national/update/0914/022.html

「宅間死刑囚は昨年12月、西日本在住の女性と獄中結婚。関係者によると、女性は今年に入ってからも面会を重ねたが、そのたびに「夫」が犯した罪の深さを知り、次第に苦悩を深めていく様子だったという。 」

 獄中での彼については、次記事「早すぎた死刑執行」でご紹介している記事でも触れられていますので、よろしければ読んでみてください。
http://blueeyes.air-nifty.com/muimui/2004/09/execution2.html

投稿 しののめ | 2004.09.19 12:58

初めまして。
私もこの事件を知って、ふうこさんと同じような考えをもちました。
遺族の方は、宅間死刑囚への刑が執行されて、
「謝罪の言葉がほしかった。」や
「悲しみや憎しみは変わらない。」
などと言っていましたが、どうかと思います。
宅間死刑囚のしたことは確かに重いことですが、
宅間死刑囚の命も同じ重さではないでしょうか。
遺族が悲しんだのと同様に、獄中結婚なさった奥様も悲しんだと思います。
謝罪の言葉がほしかったのなら、死刑を望まなければよかったのでは?
憎しみが変わらないのなら、死刑を望まなければいいのでは?
と思います。
死刑はあくまでも償いです。
しかし、遺族の方は一人の人間を殺したのです。
ある意味、宅間死刑囚と同じ事をしたのです。
命の重さを、遺族の方だからこそ分かってほしいと思います。
死刑囚がいない今、遺族の方はどこへ怒りをぶつけるのでしょうか?

投稿 奈津 | 2004.09.19 21:30

>ななさん

 「元死刑囚とその妻と」にて、彼女のコメントについて書いてみました。
http://blueeyes.air-nifty.com/muimui/2004/09/execution3.html

>奈津さん コメントありがとうございます。

 考えるほどに難しい問題ですよね。
 彼を殺したのは遺族の方ではなく、死刑という判決を下した国であり、だからこそ遺族は「自分達が死刑に追い込めたのだ」とも思える一方で「手を下したのは自分だ」と思わずに済むのでしょう。
 でも実際には、国の主権者は日本国民ですから、遺族の方だけの問題ではないように思えます。

 彼が死をもって罪を償ったのだとしても、遺族の怒りは消えることはないでしょう。ならば彼の償いとは何だったのか。それが分からなくなってしまうのです。

投稿 しののめ | 2004.09.20 17:19

> しののめさん

関連Web記事の追跡や整理的コメントは大変参考になりました。
この問題に関するしののめさんのしっかりしたフォローの姿勢、視点には共感を覚えます。

獄中結婚した宅間元死刑囚の妻・・・今は夫に先立たれた遺族の身ですが・・・から発信され、伝えられるものは非常に貴重なものだと思います。そしてそれは、「死刑制度」に対する立場にかかわらず、真正面から受け止め考えていかなければならないものだとも感じています。

ご紹介いただいた一連の記事などを読み進めると、彼女は夫に被害者と被害者家族に対する贖罪の意識が生まれ遺族に心からの謝罪をすることを希望し、彼がそれによって人間性を取り戻し心の平穏を得ることを願っていた、そのための人間としての支援・交流を行なっていたのではないかと思えてきます。
言い方を換えれば、誰もが強く非難、指摘する彼の身勝手さや残忍さといったものだけに目を向けるのではなく、彼の心の闇や痛みといったものにも目を向け、人間として共感できる、だからこそ抹殺できない、否定できない部分にあえて力をそえてあげたいと考えたのではないでしょうか。

彼女の行動は全く個人的なものだと言う人もいるでしょうが、その実、一面では社会性を強く帯びたものだろうと思います。これは勝手な推測すぎませんが、彼女は彼女なりにそれを自覚しているからこそ、宅間元死刑囚との交流や彼の心境の変化などついて手記という形で社会に公開したのではないかと思います。
(遺族の心情には充分な配慮をしながら、出来る限りそういたものを広く社会に伝えていってほしいと個人的には思っています)

9月19日にフォーラム90とアムネスティ・インターナショナル日本が行なった「死刑執行に抗議する集会」とそこで出された「抗議声明」に対して、ここ数日かなり感情的、直情的な非難、批判ばかりがプログなどで目立っていることにちょっとやり切れない思いを抱いています。

とりとめのない話になりましたが、少なくとも彼女の行動や言葉が、例えば↓のブログ記事のような形で誤解されるようなことだけは避けられないものかと思いました。

http://homepage2.nifty.com/akisumile/hutari03-12.htm

投稿 なな | 2004.09.20 23:26

>ななさん

 こちらもとりとめもなく書いているものですが、お読みくださってのコメントありがとうございました。頷きつつ拝見しました。彼女の胸中は報道された言葉を手がかりに想像することしか出来ませんし、それは読み手である自分に都合の良い解釈なのかも知れません。ですが、彼女を理解できないとする意見が多く見られる中、そんな彼女を理解したい。もうこの世にいない彼を理解するのは難しくても、せめて残された彼女を理解したい。そう思うのはやはり身勝手かも知れません。でも、彼女を拒絶したくはないのです。

 彼女は彼を人間として受け止めたかったのだろうと思います。「あんな奴は人間ではない、人権など要らない」という意見も多く見られますが、人間は人間として扱われてはじめて人間になれるのです。彼を人間として受け止めることで、人間としての心を持って欲しい。彼女が彼を愛しく思い、その彼が彼女を愛しく思うことで、愛しい子どもたちの命を奪われた遺族の痛みを思い、それを奪った自分の行動を謝罪して欲しい。それができれば彼は人間として世間にも認められる。それは彼が本当に欲しかったものではないのだろうか、それが得られれば、彼は死刑が執行されようとも人間として死んでいけるのではないか。そう思ったのではないかとも思うのです。――って同じようなこと書いてますね。結果あのような形になりましたが、それでも彼女にとっては、彼は愛すべき人間であったはずです。今の彼女は亡くした悲しみの中にあるのです。そんな彼女に辛辣な言葉を掛けるようなことは自分には出来ません。

> 遺族の心情には充分な配慮をしながら、出来る限りそういたものを広く社会に伝えていってほしいと個人的には思っています

 これは本当にその通りだと思います。
 覚悟は出来ていたのでしょうけれども、それでもこれからの彼女は、殺人犯の妻としての贖罪の意識と残された者の痛みとを抱えて生きていくことになります。それが安穏とした日々であるとは思えません。ですが、同じ痛みを覚える人を増やさないための言葉を伝えてほしいと思います。

投稿 しののめ | 2004.09.23 20:55

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