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2004.09.17

早すぎた死刑執行

 「宅間死刑囚、死刑執行」の続き。既に死刑は執行されたので、もはや「死刑囚」ではないはずなので、以後の記事は「彼」にて。その彼は本当に死にたがっていたのか、そのあたりをその後の報道で追ってみると、やはりどこかで死にたくないと思えていたようで、胸の重みは増すばかりです。

宅間死刑囚、最近は生への執着も 面会の大学教授が会見 - asahi.com : 社会

裁判で主任弁護人を務めた戸谷弁護士は、宅間死刑囚が一日も早く死刑を執行してほしいと訴える一方で、自分がこうなったのは自分の家族のせいだとして損害賠償請求訴訟を起こしてほしいと再三求めてきたと説明した。「裁判をやっていれば死刑執行が遅れるのではないかという期待もあったかもしれない」と語り、宅間死刑囚に生への執着を感じたという。

 自分の罪は死に値すると認識しながらも生を求めた。その執着を死刑という形で断ち切った、それこそが彼の犯した罪に対する罰なのだといえば確かにそうなのでしょう。

 それでも、獄中での彼を紹介する以下の記事を読むと、やはり早すぎる執行だったと思えてならないのです。

宅間死刑囚と面会 心理士に聞く 時間かければ贖罪も(東京新聞)

面会は三回目から打ち解けた雰囲気になり、二-三月には計七回顔を合わせた。「こちらが質問するというより本人が話したい言葉を待った。すると、思い詰めたような表情から、謝罪に準ずる言葉がぽつぽつ出るようになった」という。
 しかし、謝罪の言葉はなかった。長谷川教授は、「謝罪という心の働きを理解できないだけで、贖罪の気持ちは持ち始めていたと思う」と分析。「モンスターでない別の素顔、法廷とは違う言葉も残してくれた」
 宅間死刑囚が一貫して口にしていたのは「後悔」だという。

 謝罪という心の働きを理解できないのは、彼に謝罪された経験がないからなのではないかとも想像してみたり。自分が傷ついても誰もそれに気付いてくれないでいたら、痛みはただの痛みとしてしか認識されないのではないかとも。自分は傷ついた。だから他人が傷ついても、それはそれだけのことなのだと。

 この記事では「母を求めるように女性の愛情を求めていた」ともあり、彼が求めたものは無条件の保護であり赦しであったのではないかとも思うのです。死刑は彼の生きる苦しみからの解放であると同時に、彼の救済の放棄でもあったのではないのかとも。

 死刑は国家による復讐であり、彼を殺したのは国の主権者たる日本国民であり、彼を理解しなかった社会であるとも言えるのでしょう。何人も人を殺したような人間は殺してしまえばいい、と単純に思えないのは、自分にその認識があるからかも知れません。いずれ日本でも裁判員制度が導入されるという話がありますし、法治国家の国民としては法に対して無関心ではいられないのです。勿論今回のように、事件の真相や被害者に対する謝罪を引き出せないまま死刑によって事件が終わらされてしまうこともあるというだけでなく、他にも色々考えてしまうことはあるのですが。

 ふと、死刑が残っているのはアメリカと日本くらいだという話を思い出し、そうか、国家による復讐が認められている国だから、国家による報復である戦争を仕掛けたり、それを真っ先に支持するようなことになるのかと考えてみたり。発想に飛躍が過ぎるかも知れませんが、根は同じようなところにあるようにも思えるのです。

 元死刑囚とその妻と へ続く。

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