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2004.09.20

元死刑囚とその妻と

 「宅間死刑囚、死刑執行」「早すぎた死刑執行」の続き。元死刑囚と獄中結婚した女性のコメントが発表されています。彼女自身の謝罪と、彼から彼女への「ありがとう」という最期の伝言などに触れられているものです。尤もソースによって細部が異なるので、例によって複数の記事から抜き出してみます。

宅間元死刑囚の妻訴え「贖罪の念引き出せず」 - asahi.com : 社会

女性が職員から聞かされた当日の様子を伝えたほか、「贖罪(しょくざい)の意識を引き出せなかった」と無念さを訴え、遺族に謝罪した。
<中略>
「法務省は人間の更生に力を貸してくれる場所じゃないんですか」と問いを重ねると、「慎重に慎重を重ねた結果です」と答えが返り、やりとりは終わったという。

宅間元死刑囚:獄中婚の妻に「ありがとう」 執行前に伝言 - MSN-Mainichi INTERACTIVE 事件

女性はメッセージの中で「(宅間元死刑囚の)取り返しのつかない大罪をおわびします。入籍の際、不快な思いを抱かせたとしたら、おわびしたい」と被害者の遺族らに謝罪した。そのうえで「(元死刑囚には)変化が見受けられた。せめてもう少し会話する時間がほしかった。贖罪(しょくざい)意識を引き出せぬまま終わってしまい、ざんきの思いに堪えない。力不足でした」と述べた。

 彼女の謝罪は彼に代わってのものだけでなく、「贖罪意識を引き出せなかった」ことに対するものか、「入籍」に関するものなのか読み違えそうになりますが、おそらくは両方に掛かるものでしょう。尤も被害者の遺族にしてみれば、欲しかったのは彼女の謝罪ではなく、彼の謝罪であったのでしょうから、彼女の言葉は受け入れられるものではないのかも知れません。その彼女のコメントを長く紹介しているのが次の記事です。

宅間死刑執行当日の状況要旨 - 岩手日報ニュース

 「なぜこんなに早いんですか?刑確定からだ1年ですよ。異例じゃないですか?」と質問すると「法務省が慎重に慎重を重ねた検討の上での結果です」と言う。
<中略>
 泣きながら「死んでその人のいったい何が矯正され、更生されるんですか」と聞くと「矯正とは『罪を反省し、謝罪の気持ちを持つということ』だと思います」と言われた。
 「矯正局とは人間の更生に力を貸してくださる場所ではないんですね」とあらためて聞くと「それ以上はお答えできません」と言われた。

 裏門でひつぎの安置された車から降りると、1人の若い刑務官が駆け寄って来て「最後に、奥さんにあてて『ありがとうって、ぼくが言ってたって伝えてください』って言ってました」と口早に小さい声で私に伝えた。
 守の最期の言葉を伝えるためだけに、わざわざ駆け寄ってきてくれた若い刑務官に対し、感謝の気持ちでいっぱいになった。
 「ありがとう」と必死でその刑務官に伝えようとしたが、言葉にならず、何度も心の中で「ありがとう、ありがとう」を繰り返した。「こんな若い人までも執行に立ち会わされたのか」と思い、また違う涙があふれてきた。

 どうも朝日の記事の引き方にちょっと問題があるような気がしますが、ここで紹介されている彼女の言葉や他の記事を読むと、何故彼女が死刑判決が出た後で彼と獄中結婚をしたのか、分からないでもないような気がします。彼女は彼を救うことで、彼に殺された子ども達の遺族をも救いたかったのかも知れません。しかしそれは残念ながら叶いませんでした。そして、やりきれない気持ちを抱いたままの遺族が増えただけでした。

 他に、彼と彼女に関してはこんな記事も。

獄中結婚の女性に感謝も 宅間死刑囚に週1回面会 - 京都新聞 電子版

 宅間死刑囚は昨年末、戸谷弁護士に送った手紙に「彼女にお礼がしたい。何か報いたい。自分は何もできないが(女性が癒やされるように)畑に連れていって土いじりをさせてやってほしい」と書いたという。
 「奥さんは贖罪(しょくざい)の言葉を引き出そうと一生懸命だった」と戸谷弁護士。1週間ほど前には「宅間死刑囚が母親を訴えるなどと言って聞かないので困っている」などとの悩みも打ち明けていた。

 彼からの手紙に書かれていた言葉は、ごく普通の人間が示す感謝の気持ちだと思えます。感謝と謝罪、共通するのは「謝」という文字ですが、もう一方の心の動きを引き出すには、それこそ後一歩のところまで来ていたようにも思えます。別記事では、

反省、贖罪なき早期執行 宅間死刑囚の刑執行 - 京都新聞 電子版

 「贖罪(しょくざい)の念を引き出したい」と、臨床心理士の長谷川博1・東海女子大教授も月に一、2度のペースで接見。親族や元弁護人、宗教関係者以外で死刑囚に接見が認められるのは極めて異例だった。

 とあることから、可能な限り手は差し伸べられていたようなのですが。もし彼から謝罪を引き出せていれば、被害者の遺族の感慨も変わっていたのかもしれません。しかし謝罪の言葉は聞かれないまま、死刑は執行されてしまいました。これで彼の罪は償われたのでしょうか。

 「許せとは言わない。しかし報復を求めても何もならない」

 これは、自爆テロで息子を失ったイスラエル人遺族の言葉です(Nスペ「テロ 遺族たちの対話」)。テロの応酬と、殺人事件に対する法の裁きによる死刑とでは話が違うかもしれません。しかし、どこか通じるものはあるような気がします。

 被害者の遺族だけが知る失った辛さというものがあります。憎しみの対象であった彼が死んでしまっても、まだまだ辛さばかりが募るのかもしれません。ですが、こうした被害者が増えないためにどうすればよいのか。もし語れる時が来たら、そのための言葉を紡いで欲しいと思います。当事者ではないから、こんなことが言えるのかも知れませんけれど。

 死刑と償いと抑止力と へ続く。

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コメント

「許せとは言わない。しかし報復を求めても何もならない」

この言葉は素直には受け入れられないですね。
「許さないし、同じ以上の惨い仕返しをしたい」
俺の心にはこれしかないです。
これでなくては死んだ人間の遺影に顔向け出来ない。

宅間もと死刑囚は死んで当然だしそれくらいでは償えないです。

なんでしょうね。
人が死ぬのも殺すのも嫌なのに、それをしなくては俺が死んだ人を大切に思っていないんじゃないかって言う気持ち。

でも、たぶん目の前にそいつがいたら刺し殺すでしょうね。


客観的に記事を読めないことでとんちんかんなコメントをしてすみません。

投稿: 六星 蒼 | 2004.09.21 11:11

>六星 蒼さん

 こういった感情がおそらくは大多数の方の感覚なのだろうと思います。
 コメントいただけてよかったです。ありがとうございました。

 確かに、法治国家における死刑と、テロの応酬を同じく扱うには無理があります。それにもし自分が「被害者の遺族」となってしまったら、やはり報復を求めると思います。

 でも、その報復に相手の死を求めても何もならない。そう思うのです。

 その上自分が相手を殺したら、自分の家族や相手の家族を悲しませることになる。自分はそれに耐えられそうにありません。

> 人が死ぬのも殺すのも嫌なのに、それをしなくては俺が死んだ人を大切に思っていないんじゃないかって言う気持ち。

 何かをしなくては治まらない。何かをしたとしても治まるものではない。
 そういうものだとは思います。
 ただ相手を殺さなくても、死んだ人を大切に思うことは示せると思います。
 それにそこまで人を大切に思える人であればこそ、やはり相手を殺さないでほしいと思うのです。

投稿: しののめ | 2004.09.23 20:59

こんにちは。初めてカキコします。
今、発売されている月刊「創」 11月号に
妻からのコメント全文載ってますね

投稿: すみそにあん | 2004.10.09 15:14

>すみそにあんさん

 情報ありがとうございました。
 また書店へ出向いたら探してみたいと思います。
 抄録ではどうしても意図が正しく伝わるものでもありませんので、やはり全文を拝見したいものですね。

http://www.tsukuru.co.jp/

投稿: しののめ | 2004.10.09 23:26

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