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2005.07.02

Nスペ「僕らは玉砕しなかった」

 7/2のNHKスペシャル「終戦60年企画 僕らは玉砕しなかった ~少年少女たちのサイパン戦~」、再放送は7/4(月)24:15~25:07。なお翌日7/5(火)の同じ時間は、先の「沖縄 よみがえる戦場 ~読谷村民2500人が語る地上戦~」の再放送。終戦60年企画続きですが、どちらも未見の方は是非。

 その沖縄も壮絶なものだったが、沖縄に9ヶ月先んじて、昭和19年6月15日の米軍上陸により民間人を巻き込んだ地上戦が繰り広げられたサイパンもまた凄惨の一言。今は日本の沖縄に比べると、サイパンについてはあまり見聞きすることがなく、61年目の今年は天皇皇后両陛下の慰霊の旅もあり、こうした特集も組まれたのはありがたいもの。サイパン一般にはリゾート地として知られているのだろうが、やはりバンザイ突撃とかバンザイ・クリフといった玉砕の地としての印象が自分には強い。改めて映像で見るその断崖絶壁は、そこに居るわけでもないのに足がすくむ感覚を覚える。そして、崖から身を投げる女性の映像に息を呑む。サイパンは米軍占領後、日本本土爆撃のB-29の基地となり、隣のテニアン島からは原爆を搭載したエノラ・ゲイとボックス・カーが発進している。悲劇の連鎖の端緒となった島で何があったのか。

 第一次世界大戦でドイツ領だったサイパンは1914年日本に占領され委任統治領となる。気候を生かしたサトウキビ栽培がはじまり、サトウキビの生産地であった沖縄をはじめ日本全国から砂糖の島への移民が相次ぐ。7つの国民学校、男子のための実業学校、そして高等女学校が作られるなど、サイパンで生まれ育つ子供達が増えていった。そして太平洋戦争がはじまり、サイパンは米軍と日本軍との決戦の地となる。

 「生きて虜囚の辱めを受けず」との教えは軍人だけでなく子供達に至るまで日本人全てに叩き込まれた言葉だ。そして、これが「米軍に捕まれば女は強姦されそして皆殺される」といったデマとなり、恐怖を伴って浸透していく。上陸した米軍に追われた人々は死を選ぶ。自決のための手榴弾が配られ、隣近所で爆音が響き、人体の一部が飛び散ってくる。その中、手榴弾が不発だったために生き長らえた人も居る。生き延びてくれたからこそ語ってくれるその言葉の重さ。

 手榴弾で6人が亡くなったが母と足に怪我をした娘だけが生き延びた。母は着物の帯で互いの首をしめて死のうとするが娘は抵抗をする。怪我のため動けないまま、目の前の遺体は朽ちていく。蛆がわき、ドラム缶のように膨らんだ体はやがてとけていく。いつしか母も息を引き取り、娘は手榴弾自決から2ヵ月後米軍に発見された。生と死とは紙一重だと彼女は語る。

 日本軍を案内していた少年は、父と別れる折にウチナーグチで語られた言葉を思い出し、軍人から離れて逃走する。お前は長男だ、兵隊でも軍属でもない。帰って来いと。「(当時の人間にすれば)恥ずかしい」と何度も語るが、あれから61年経ってもそう口にしなくてはならないということ自体があの時代の狂気を伝えている。

 7/7のバンザイ突撃に参加した少年は、後方に居たために機銃掃射を逃れ生き延びた。あの時の気持ちは想像もつかない、生き延びたいという一心だったろうと。サイパンでは米兵も多くが死に、今も戦友の遺骨収集を続ける元海兵隊員が居る。民間人は殺したくないと思いながら、反撃を恐れて、降伏を呼びかけても人が出てこない洞窟には手榴弾を投げたという。だが、5人家族の先陣を切り、「Give me water!」と口にして米軍の捕虜となり生き延びた少年も居た。そして、4ヵ月もの間、壕に隠れていた一家は、壕の入口を銃撃されながらも、せめて外の空気を吸って死にたいと外に出る。「天皇陛下万歳」と叫んで静かに目を閉じて手を合わせる。しかし彼らは殺されなかった。米軍から渡された水をがぶ飲みしたという。

 生き延びたサイパンの民間人は1万人以上、その半数は20歳未満の少年少女たち。名簿に「Japan」「Okinawa」と分けて書かれているのは、沖縄占領後の資料だからだろうか。しかし日本では民間人も玉砕したと報道され、それが勇ましいことだと美化された。サイパンで捕虜となっていた少女は戦後沖縄に戻り、兄の死を知る。サイパンで家族は皆玉砕した、その仇を討つといって沖縄戦で死んだのだと。自分はこうして生きているというのに。彼女は日本という国に対する怒りをあらわにする。何故真実を報道してくれなかったのかと。

 そして61年前の映像に残る、崖から身を投げた女性。あれは自分の母ではないかという当時の少年が居た。女性が身を投げる前に何かが投げられているのだが、それは前の晩に母が窒息死させた妹だと。ただ撮影したカメラマンの証言と、自分と妹以外の兄弟は全て手榴弾自決で死んでいたという男性の話には食い違いがあり、その女性が本当に彼の母なのかは分からない。でも彼は、あの女性が母だと信じている。家族を全てサイパンで失った彼にとって、あの映像は自分達がサイパンで生きた証なのだ。

 サイパンの民間人に死を選ばせた「米軍に捕まれば~」というデマの出元というのが、満州などからサイパンへ派遣された日本兵なのだという。「あちらで同じことがあったというでしょ、だから米軍も同じだと」――つまり何か、自分達日本軍の不始末というか恥ずべき行為を、ジュネーブ条約を遵守していた米軍になすりつけたとでも? 呆れてものも言えない。日中戦争で日本人側がそうした被害をまるで受けなかったということもないだろうし、それこそ今も日本で問題を起こしている米軍が全て紳士だと言うつもりもない。それにしてもサイパンや沖縄であれほど民間人に死を選ばせた狂気の元がこんな馬鹿馬鹿しい話だったとは。とはいえ、日本兵が全てそういう輩だったと言う気もない。誠心誠意、愛すべきひとびとのために国を守ろうとした人が多かったのだと思う。そもそもあんな馬鹿げた戦争に突入するしかなかった当時の日本が悪いんじゃないか。

 バンザイ・クリフを洗う波は今は深い青が美しい。しかしあの日、その波打ち際は無数の死体で埋まっていたという。その上に飛び込んだからこそ生き延びた女性も居る。口にするもおぞましいその光景を今語ってくれた人々に感謝したい。

天皇、皇后両陛下:バンザイクリフなどで黙礼、平和へ祈り(MSN-Mainichi INTERACTIVE)
両陛下、悲劇の地で供花と黙礼 サイパン慰霊(asahi.com)
サイパン慰霊最後の全国大会(asahi.com : マイタウン沖縄)
記憶 戦後60年 新聞記者が受け継ぐ戦争(東京新聞)

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現在、某社の新書の編集で、カンヅメ状態で働いています。朝の4時に一瞬時間が空いたので、このことだけは書いておきたいと思います。 先日(7月4日)に、NHKスペシャル「僕らは玉砕しなかった〜少年少女たちのサイパン戦」(名古屋放送局製作)を見ました。正確な数を失... [続きを読む]

受信: 2005.07.19 08:03

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