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2006.03.15

ZGIIIラストシーンの「新訳」

 公開11日目の「劇場版 機動戦士Ζガンダム 第3部 星の鼓動は愛」国内興行ランキング:Movie@nifty(2006年3月11日~2006年3月12日)では2週目10位。残ってて素直に良かったです。で、その「誰も知らないラスト」の新訳について。何か時間かけてちまちま書いてたら長くなっちゃったんですが。 という訳でネタバレ全開です。

ふるたこ徒然 - 『ZGIII』、もう大きな光は見えなくなった

この「大きな光」が何であるかは、お分かりだと思う。
TV版ラスト、精神に異常を来したカミーユが言う「大きな光がついたり消えたり…」のセリフに象徴される、「精神崩壊」、「バッドエンド」、「ニュータイプの絶望」…、そんな悪しき結果のことである。
「大きな光」が見えなくなったとレツがわざわざ言ってみせるということは、1度目(TV版)の呪いから解放されたということだ。さらにそれを確認するように「そうだよね、なくなったよね」とキッカが言う。カミーユが救われたことが決まった瞬間だ。

 非常に良いところに目をつけておいでだと思います。
 ただ惜しいのは、件のTV版最終話のカミーユの台詞は実際には

 大きな 星 が点いたり消えたりしている。あはは……大きい! 彗星かなぁ。いや、違う。違うな。彗星はもっとバァーって動くもんな。暑苦しいなぁ、ここ。ん……出られないのかな。おーい、出してくださいよ。ねぇ。

 なんですね。
 ま、戦場の大きな光→「星」なんで指してるものは同じなんですけど。

 ただま、TV版ラストのこの台詞(飛田さんに言わせれば当時凄く楽に出来たんだそうですが)をこうして全部書き出してみると、劇場版って徹底的にこの最終話を「新訳」してみせているんだなぁとつくづく思うのです。

●「俺の体をみんなに貸すぞ!」
 この台詞はTV版通り。というか、多分第3部で唯一の「俺」。残ってて良かった。
 初見時には「ここは新曲」などとメモを取りながら見てたんですが、後で見返すとこの部分のメモが抜けている。ま、クライマックスだからメモ取ってる間もなかったかと思いつつも、でもここどんな曲だっけ? と記憶から抜けてました。2回目見て、なんだTV版と同じM-19だったのかと(^^; 違和感なさすぎだったんですね。うーん第2部の「灼熱の脱出」もM-19だったから、この第3部はどんな新曲来るんだろうと期待してたんですけど。でも良いです。やっぱこの曲じゃないとね。

●「ここから居なくなれ!」→「女たちのところへ戻るんだ!」
 この台詞変更についてはΖヒストリカ12巻p14コラム参照。しかしこのp14だけでこの台詞3回出てくるのね(^^; ま、それだけ重要な台詞だということで。

●ここでカミーユのノーマルスーツのバイザーが内側から割れる描写はイキ。
 TV版が「鬱積したものが破裂するがごとく内側から崩壊した」瞬間を描いたのに対し、劇場版では「高まりきったテンションをガス抜きのごとく開放した」瞬間の描写になっている。エマさんの前でのバイザー開けが残るのはΖヒストリカ00巻の富野監督インタビューで知っていたけど、まさかこのバイザー割れまで旧画で残るとは思わなかった。意志の力が物性力を超えた証左なんだけど、特にそのことを不思議とも思わないでいる新訳カミーユは大物。ていうか、でなきゃあんなことは出来ないんだよね。

●「シロッコ……やったのか?」→「シロッコ……やってしまったの?」
 何か劇場版の方は、「出来ればやってしまいたくなかったんだけど」的な印象が。元々「殺すことはなかったんだ!」と言ってた子ですからね。TV版は「死んでしまえ、死んで!」とか、そーゆーことばっか言ってると手前が死ぬぞっていうような台詞多くてキツイですよ。

●ファが必死にカミーユに呼びかけるのはそのまま。
 台詞は違いますけど、TV版を覚えてる人はここで一気にTV版を思い出してしまう場面ですね。

●ウェイブライダーのままのΖ→ちゃんと人型に戻るΖ
 やったねロボットアニメ!
 以前からΖというのは「血に濡れた黒い翼の天使」だと言ってるんですが(何とかならんのかこの少女趣味は)、TV版では人ならざる力を得た代償に常人としての有様から逸脱してしまったカミーユを乗せたままのΖは、異形の存在としてのウェイブライダーのまま動こうとはしませんでした。
 劇場版ではそれが人型に戻り、しかもフライングアーマーをパージしてる=翼を捨てることで、カミーユもろとも本来あるべき人としての有様を取り戻してるんですね。あの翼(フライングアーマー)は元々オプションパーツだから、付け直せば再変形は可能なんですが。でもこれはΖΖ最終話と同じで、たとえまた翼を得てその力を使うことがあったとしても壊れてしまうようなことはないだろうし、でもそれはファという戻るべき処があればこそできることなんだろうなと思えるのです。
 MSが何故人型だといって、それは人の肉体を拡張するためのマシンだから。ただそれが、人の意識まで拡張するようになったとき、それに人は耐えられるのか──というのがΖという物語で語られたことではあったんですが、あの異形の可変MSたちはそれと共にある者たちの精神の歪みとシンクロしてたんだなぁとも思うのですよ。だから、Ζが人型に戻って終わりというのは嬉しかったんです。血に濡れた黒い翼でファは抱けないんですよ。

#でもTV版#28「ジュピトリス潜入」でウェイブライダーの上にファのメタスを乗せるカミーユは大好きだ。こういう細かい積み重ねがカミファの萌えどころ。レコアのことで喧嘩してたはずの二人がすっかり仲直りしてアーガマの通路を連れ立って行った後、一人でシロッコのことを思いつつ通路を行くレコアという対比が面白い話。

●「ハッ! 動いた……っ! はぁっ」
 おめでとう(i_i) 個人的にはここが救われた瞬間かな。「今は動けない」から20年目の快挙。

●バイザーの割れたヘルメットを脱ぐカミーユ
 この行動自体は共通。でも状況が天地の差。TV版では先の「大きな星が点いたり消えたりしている」という台詞。その「星」=光の瞬きは命が消えていくものであると認識できないでいる悲劇なんです。尤もΖΖを見れば一時的な弛緩だと思えますが。そして「出してくださいよ」と言っても自分から外に出られなかった=戻るべき処に戻れなかったんです。
 それが劇場版では(こんなこともあろうかと用意しておいた)スペアのメットに交換して、自分から外に出て、ファという自分の目の前に残されている命(氷川竜介氏的に言うならばこれも「星」)の処に戻るんです。戻ることが出来るんです。凄いよ新訳。基本的にカミーユのやること・やろうとすることは変わらないのに、本人の受け止め方を半歩ずらすだけでここまで変わるのかと。

●カミーユとファが抱きついてくるくる
 #10「再会」もしくは第1部でのファからカミーユに抱きついてくるくる、の延長線上にあるものでもあるかと。ラストは若干カミーユが早いように見えるけどほぼ同時かなぁ。でもカミーユが男の子だからこそあの体勢になってしまうわけで。ご馳走様。
 でもΖΖ最終話にもカミーユとファが海岸でぐるぐるというのはある訳で。ロングでキスシーンよく見えないぞーというあれですあれ。
 劇場版に戻れば、ヘルメットしてるとキスは出来ないけど抱き合うことは出来る。しっかりと抱きしめた彼女の鼓動だって感じられる。それは確かな愛なんだと分かる訳で。Ζヒストリカ12巻p15にラストの台詞がありますけれど、これはカミーユが数多の死を受け止めてきて、そして死者の魂に抱かれて自分の身を委ねることもしたけれど、そのままそこに留まるのを良しとはせず、生きている肉体を持つ自分を自覚してこその言葉ですよ。それこそF91じゃないけど「ONLY BEGINNING」だけど。この先が大変なのは百も承知なんだけど。でも今だけは抱き合える幸せをかみしめて。ここら辺、p27のキャプションが好き。

 でも自分が14年前に書いた「星の鼓動」と同じようなところに落ち着いたよなぁ、とも(^^;

●TV版にあって劇場版にないもの
 流れてゆく百式と、「ZG fin」の文字。だからこそ、終わった気がしないんですね。
 TV版では地球に太陽が隠れて終わりなのに、劇場版ではΖの股の間から太陽出てくるんだもの(^^; 第2部でフォウの股の間からシャトルといい、こういう絵がお好きなんですねぇ。しかし主役メカのΖまで観客にお尻を見せて終わるあたりさすが尻アニメ。

 でもね、劇場版の一番最後の絵って、銀河の端を行く彗星でしょ。
 そう、それこそバァーって動いてる7年周期の赤い彗星。やられました。
 という訳で、最後にシャアはちゃんと居ます(笑)>ふるたこさん
#あの軌道では7年周期にならないというツッコミは却下。

 あ、あとふるたこさんの元記事に戻って、フラウのお腹は小さくなっていないように見えますけれど。ていうか生まれてたらそれをちゃんと描くのが富野作品だと思いますし。
 第3部はクワトロじゃなくてシャアだというのは、池田さんの声もそうなんですよ。背中ゾクゾクしましたもん、この声はクワトロじゃなくてシャアだって。
 しかし最初のグワダン脱出時はわざわざ「クワトロ大尉だ!」って言ってんのに、自分のケーキがなかったからって拗ねちゃったのをちゃんと見越して彼を「シャア」と呼んじゃうブライトさんが素敵。

●余談:カミーユのまばたき
 非常に細かい所なんですが、TV版と劇場版では、シロッコに向かっていくカミーユがまばたくタイミングが変更されています。TV版のDVDを何度か見返してやっとその変更点が分かるという程度のとっても微妙な、でも確かに意味のある変更なんですが。普通に見てたら多分気づかないよこれ(^^;
 しかし新訳にイイカンジに浸ってると、TV版見るのがキツイわ。ほんと。TV版はTV版でこれからも愛していきますけどね。

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コメント

 前回のコメント、不愉快な点があるのでした
らお詫びします。自分としては、特定のキャラ
を侮辱する気はなかったのですが、そう聞こえ
たのなら申し訳ありません。言葉って言うのは
、難しい物ですね・・・・自分では気をつけてい
るつもりですが、どうにもうまくいかないもの
です。
 第3部は、いろいろなところでいろいろと言
われていますね。特にラストは・・・TV
版とは全く異なる仕様みたいなので、意見が
別れるのは当たり前と言えば当たり前です
が。DVDが出たら、そのエンディングまでに
続く物語がどのように紡がれているか・・・
見届けようかと思っています。

投稿: コンバット・ホークウインド | 2006.03.16 06:01

いろいろとご指摘いただきました。確かに、「大きな星」でしたね。そうでした。

フラウのお腹に関しては、小さくなっているように思えたんですが、最近『星を継ぐ者』を見たらもともとそんなに大きくなっていませんでしたね。出産したならそれを見せるという富野演出ですが、フラウを横から見せてお腹が小さくなってるっていうのでも、十分です。むしろ『逆シャア』じゃありませんが、新しい命の誕生を賛美するにしてもハヤトとフラウの子供じゃ具体的過ぎますし…。

> でもね、劇場版の一番最後の絵って、銀河の端を行く彗星でしょ。
 そう、それこそバァーって動いてる7年周期の赤い彗星。やられました。
 という訳で、最後にシャアはちゃんと居ます(笑)>ふるたこさん

ええ、もちろんそうです。
最後はわざわざ彗星です。しかも何か妙にぴかぴか光ってますからね(笑)。
エンディングにはDybbuckといい彗星といいシャアを象徴するものがちゃんとあります。しかしそれは象徴に過ぎず、本人を画面に出さないところが富野なんだということです。

投稿: ふるたこ | 2006.03.16 11:36

>コンバット・ホークウインドさん
 先のコメントが特に、というものではなく、総体的に自分にはそう感じられることが多いもので書かせていただきました。新訳に習って、どうぞ前向きに生きてください(^^
 劇場版はTV版と違うからというだけでなく、TV版と違わないとして意見が分かれている面もあります。それは各人がこの劇場版に何を期待していたかで変わってくるものなのですが。という訳で、DVDリリースはそう期待をせずに、でもお楽しみに。

 ふるたこさん向けには新記事にて。
http://blueeyes.air-nifty.com/muimui/2006/03/z3_furau.html

投稿: しののめ | 2006.03.17 21:08

僕は第2部で、カミーユとファの再会直後の
抱擁シーンが、キスシーンに変更されていた
事が残念だったのですが、この最後なら、あ
のシーンが変更されるのも頷けますね。
 あの監督は、最後の最後でこの抱擁シーン
を出したかったんでしょうね。さすがに尺の
短い映画で、同じネタは2度も使えません
から。
 第3部の内容自体はまだ見ていないので
どうこう言えませんが、ここらへんの構成力は
興味深いですね。

投稿: コンバット・ホークウインド | 2006.03.19 07:38

>コンバット・ホークウインドさん
 構成に関しては、よろしければΖヒストリカ12巻の富野監督インタビューを読んでみてください。ただ何度も申しますけど、実際に映像を見るまではΖのことなんて忘れている方が良いと思いますよ。

投稿: しののめ | 2006.03.21 00:09

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 私はZZガンダムのジェネレーター出力が言える程度のガンダマー(ガンダムファン)であるが、個人的にはガ [続きを読む]

受信: 2006.03.18 23:57

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