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2006.03.05

Love LetterとDybbukと

 「劇場版 機動戦士Ζガンダム 第3部 星の鼓動は愛」の本編感想をどう書こうかと思いつつ、まずEDの「Love Letter」と「Dybbuk」について。プレミア試写会感想でも書いてるんですが、「Gacktの歌は馴染むまで聴き直すべし」です。3回目には慣れますから。EDに2曲流すのはめぐりあいと同じだね、と兄貴に言われるまで気づきませんでしたが(^^; そういう意味では「Love Letter」→「Dybbuk」で問題ないよなぁ、と思ったりします。さいたまは音が良かったから存分に堪能してきましたよ(^^)

 劇場版のサントラ「機動戦士Zガンダム~A New Translation Review~」にて、富野監督はこうコメントを寄せられています。

Gacktには不本意な部分であることは承知しているのだが、それについては原作監督の立場から決定させてもらった。「ゼータ・ガンダム」にはテレビ版の旧作に刷り込んだテーマがあって、それは新訳としての映画版では消滅させているのだが、エンディングテーマである「Dybbuk」で、旧作のテーマが存在していると感じさせたかったのだ。新作一辺倒では時代に流されてしまうと考えたのである。

 Gacktから新曲の提案があっても、それはありえないとして、当初の予定通り「Dybbuk」で終わらせてるんですね富野監督は。

 ただま、自分も初見時には相当煮えました。何分仕事で見たというあたり、素直に楽しめるという状況ではなかったんですが、そりゃーもぉ盛大に愚痴を書き出してました。こんな感じで。

 何で「Love Letter」で押し切らなかったの? 余韻がない映画なんて映画じゃないよ。だから終わった気になれないんだよ。TVからの20年と、劇場版を追いかけた全ての時間があって、「あぁ、終わったんだな……」と浸りたいんだよ。なのに「Dybbuk」じゃCCAのOPになっちゃうよ。何か∀の「Century Color」に乗り切れなかったのを思い出した。

 だって「Love Letter」ってカミーユとファのための歌じゃないですか。「君」を「花」に例えて歌いだす2コーラス目以降も含めて完璧にカミファですよ。言わずもがなですが「ファ」は中国語で「花(華)」のこと。手前味噌ながらΖヒストリカ07巻の「星々の群像」のリードでも書いたとおり、カミーユにとってのファは、陽だまりの蒲公英のような身近な女の子。第2部の「mind forest」にも花は出てきますけど、あれはフォウのための歌だし、ファという花をちゃんと捕まえた第3部のラストは「Love Letter」しかないじゃない、と。

 で、愚痴るだけ愚痴ったらクールダウンできたので、2回目は出来るだけ素直に見てみたら、あ、「Dybbuk」も案外良いじゃないと(でもこの時点ではまだ「Love Letter」で終わっていれば名作だったのに~とは思ってた)。で、3回目には「Dybbuk」にはもう慣れてしまってました。その後上記のサントラの3枚目を聞いたら、本編と同じ1コーラスで「Love Letter」が終わるので、あれ何で「Dybbuk」に続かないの? と思うほど(^^;

 今では、「Love Letter」で押し切らなかった理由も分かるような気がします。先のサントラの富野監督のコメントだけではなくて、Ζヒストリカ11巻でのインタビューで富野監督はこう述べられているからです。

「新訳」にしたいばかりに、カミーユとファが、その切迫感をどこまで感じて行動していたのかということになると、まだお前らはしょせん少年兵と少女兵なんだよね、という意味でおめでたいところにいて、ヒーロー、ヒロインをやってしまった、というきらいはあります。

 つまり、「Love Letter」で押し切っていたら、非常に通俗的なハッピーエンドにしかならないということかと。それでいいじゃないですか。とも思うんですけれど、それでは新訳の意味がなくなるんです。「Dybbuk」には確かにTV版Ζの持っていた雰囲気があります。ハッピーエンドな新訳の裏には、ハッピーエンドになれなかったTV版が確かにあるし、そして劇場版でも共通して描かれた数多の悲劇があるのです。それが「Dybbuk」のおかげで透けて見える。そう思えるんですね。敢えてそういった悲劇を表だっては描かないけれど、ちゃんと「Dybbuk」が見せてくれていると。──つまりこれ、TV版Ζのテーマの「現実認知」そのものなんですよ。

 「Dybbuk」とは「(人に取り付く)死者の霊、悪霊」のこと。以前にも「これほどまでにΖに似合うものもあるまい」なんて書きましたけれど、多分ここで自分が思い浮かべてるのはTV版Ζのこと。ラディカルで、エキセントリックで、自己破滅的で、狂気に満ちていて、胸が張り裂けそうなくらい切なくて、痛々しいばかりに目が離せなくて、でも、それらの悲劇を恐れないで突き進んだ、ある種の美しさが貫かれている、そんなTV版Ζの──TV版Ζでのカミーユの持つ雰囲気が、「Dybbuk」という曲にはあるんです。だからこの曲で終わったということは、自分にとってはTV版も含めてちゃんと肯定されたとも思えるのですよ。ほんとに、新訳ではカミーユの見方を半歩ずらしただけなんだって。自分では、TV版のカミーユがやろうとしたことって間違っていないと思っているから。ただ、ちょっとやり方がまずかっただけなんだって。ΖΖの一年を通じてまた別の戦いを続けて、そしてファのところにちゃんと戻ってきた、TV版のカミーユは何も間違ってないよって。「Love Letter」で押し切られていたら、完全にTV版とは別物と思って終わってたかも知れない。でもそうじゃない。「Dybbuk」のおかげで、どちらも同じカミーユなんだと思えたんですよ。これはほんと嬉しかったんです。

 だから、「Dybbuk」の音に拒否反応を示す人は(初見時の自分も含めて)多いだろうと思うのだけれど、ちょっと待って、ちゃんと耳を傾けてみてと。そう言いたいんです。それこそね、見方を変えれば世界はがらっと変わってしまうものなんですよ。←これは新訳のテーマね。

 ──で、ここまでは自論なんで「Dybbuk」というのはTV版のカミーユだよという話を展開しましたけど、初見時の「CCAのOPになっちゃうよ」というのも見方としてはアリだと思ってます。その視点に通じるかなと思うんですが、

ふるたこ徒然 - 『ZGIII』補足、Dybbukから解き放たれたカミーユと、呪われ続けるシャア

 こちらはこちらでアリかなと思えます。なんで「Dybbuk」なの? と納得いかない向きは是非読んでみてください。

 →Love LetterとDybbukと・2(音楽の話)

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