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2006.03.26

Ζと教養小説と

 公開4週目の「劇場版 機動戦士Ζガンダム 第3部 星の鼓動は愛」。 渋谷Q-AXではCINEMA2に移ってTHXでなくなったのが残念ですけど、でもやっぱまた渋谷に行きたいなぁ。で、また絡んで申し訳ないんですが。

囚人022の避難所 本屋めぐりとその他いろいろ

まずは『Ζヒストリカ12巻』やっと発見しました。1冊だけ残ってました。
しののめさんお勧めの第3巻は立ち読みで。(ゴメンナサイ)
だってビルドゥングスロマンとしては『機動戦士ガンダム』はOKだけど、Ζテレビ版は「?」ってことですよね。時代の変化と言うことは分かったけど、もう一歩突っ込んでほしかったなぁ。

 と書かれていたので、こうコメントを差し上げました。

 まずは12巻ご購入ありがとうございます。
 03巻についてですが、「?」で終わらせているものではないと自分では思います。時代性のみが語られて、何故富野監督がそのような描き方をしたのかが掘り下げられていない部分を不満に思われているのかと拝察しますが、それはΖが現実認知の物語であるが故の必然であり、巻数や字数の問題もあって取り上げられなかったのかと思います。

 で、こうコメントを頂戴しました。

“正当”な成長譚 というのが私の関心事だったので、現状認知の物語では、それは正当(?)に描けないのが自明としてしまっては、ビルドゥングスロマンという言葉を持ち出した意味がわからなくなります。テレビ版では失敗だったとして、劇場版では正当に描くことに成功したのかどうか。しかし3巻という段階でそこに踏み込めなかった事情は理解しております。<後略>

 そのまま先方のコメント欄で続けるべきなんですが、ちょっと長いのでこちらからのTBにて(_o_) ほんとは、出来ればΖガンダムヒストリカ03巻を読み直して頂きたいものですけれど。

 TV版号の各巻の該当話数の見所を交えて、毎回違った切り口でΖを見直す視点を提供するのが、奈落一騎さんの担当されたエピソードガイド冒頭の総論の役目です。03巻では「ファーストとは違い、Ζは教養小説(ビルドゥングスロマン)の要素を持ちつつもそのものではありえない」という視点を示しているのが重要なのであって、それが時代性とリンクしているという見方が“HISTORICA”ならではのものと自分では理解しています。「主人公は成長するものである」という固定観念を裏切ってみせたΖは、「ファーストとは違う時代」を映しこんだ作品であるということです。それでも普通は「カミーユは戦いの中で成長した」と書かれてしまうのが落ちで、それを否定する見方は一部のファンの間にこそあれ、従来の商業誌では殆どなかったものと心得ています。自分が見落としているのかも知れませんが。

 富野監督はカミーユの正しい成長物語を描こうとして失敗したのではなく、成長が失敗する物語としてΖを描いたと見る方が、Ζが現実認知の物語である以上必然のことであったと思います。それは02巻でも取り上げたカミーユ・クローデルをモデルにした時点でカミーユ・ビダンの物語の結末が決まっていたことと、当時のインタビューの端々から、そのカミーユの描き方は意図的なものであることを窺うことができると思えるからです。

 ただそうした成長失敗の物語を反面教師的に提示したTV版が、土曜夕方のお子様向けロボットアニメとして正しいあり方なのかというと疑問は残ります。勿論、「正しさ」というものの基準は時代によって変わるものですし、「正しくない」=「間違っている」という単純なものでもありません。そして子供に見せるべき正しさと、それが本当に正しいのかという疑問の提示があって初めて、正しいあり方なのだろうとも思います。──というのはともあれ、成長に失敗してしまったTV版カミーユの生き方は正しくはないのでしょう。でも、間違っている訳でもない。そう感じ取ることの出来た子供も居たのです。TV版Ζが毒だったとしても、使い方によっては薬になるとも思うのです。というあたりは00巻の巻頭言や02巻の中川大地さんのカミーユ体験クロストークでも書かれていますけれど。

 ですが、そのメッセージが作り手の意図通りに伝わったのかという点での疑問があればこそ、20年経って劇場版ではカミーユが正しく成長する物語として「新訳」されたのでしょう。ガンダムX最終話ではありませんが「道を示すべき大人」が迷いの中にいるからこんなことになるんだよ、という苛立ちがTV版Ζにはありましたが、それは劇場版では払拭されていると思います。「子供に見せられる作品にしたかった」という富野監督が「お互い歳をとりました」と口にするのは、「お互い当時は若かった」という言葉の裏返しです。TV版Ζが「若さ故の過ち」でしかないのか、「これが若さか」というものになるのかは見方一つで変わります。どうせなら素直に受け止めるべきだというのが、新訳を体験した今の思いです。

 余談ながら02巻星々の群像カミーユ編のお題は「成長の行方は」でしたが、だからって「カミーユはこんなに成長したんだよーすごいねーさすが主人公だねー」なんてことを書いたつもりはありません(^^; そして、ジェリドとカツについてもそれぞれ06巻と10巻で書かせていただいてますが、どちらも「主人公になれなかった」視点で見ていたりします。

【さらなる余談】
 カミファが宇宙でくるくる=F91というのは富野監督自身が言及してますし、F91を見た人なら必ず連想するものではあるんですが、ガンダムシリーズにまで枠を広げると、F91と劇場版Ζの間にガンダムXもあるじゃないですか。第三十四話「月が見えた!」でガロティファが宇宙でくるくるやってるじゃないですか。パーラがそれ見てぼやいて、でもちょっと……っていう名場面があるじゃないですか。って、富野ガンダムじゃないから出しちゃ駄目ですかそうですかそうですね。

 高松版Ζとも言われるGXというのは、そりゃぁもお(Ζ以降の)ガンダムシリーズ随一の教養小説ではないのかとも思えたりするのです。ガロティファを初めとする10代のキャラだけでなく、ジャミル・ニート(30歳)まで成長しちゃうのがまた凄い。ジャミルとガロードは、失敗しなかったクワトロとカミーユだよねと言われたりもします。お子様向け番組としてはGXはやはり正しいと思えるのですよ。というのは以前に「月の声の聞こえる夜に~GXとΖ~ 」でも書いてますが。

 んで、改めて「HUMAN TOUCH」は名曲だよなぁと思って聴き直してると、

CHANGE THAT YOU FEEL
HELPS YOU TO HEAL FROM ALL THE REST

 なんてまるで新訳じゃないのよとか思ったりする訳です。いやここに限らず全部そうとも思えますけれど。心に愛を見つけたら瞳の輝きは星になるのですよ。ぎゅーっと抱きしめられるとあったかいのですよ。愛より他に真実など何もないのですよ。つくづく名曲ですよこれは。

 TV版Ζから10年経って高松信司が作ったGXで心洗われて、それから10年経って富野由悠季が到達した新訳で改めて憑き物が落ちて、10年後に何があるのか今から楽しみです(ナニソレ)。GXの音楽を作曲した樋口康雄氏が「リーンの翼」で富野監督と組んでいたり、一方で高松監督も「銀魂」でサンライズに帰ってきている現在というのも感慨深いものですが。

 あ、でもその間に高松演出のPS版Ζがありましたね。30バンチもキリマンジャロもダカールもあって、シャアの変節とミネバ拉致まで含めて全編新作画+オリジナルキャストという、新訳がそんなに気に入らんのならこっちを見なさいよというのが(^^; いやこれはこれで好きなんですよ何度も言いますけど。OPの格好良さは必見。

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コメント

私もちょうど教養小説のことを書いたところでした(笑)
「富野監督はカミーユの正しい成長物語を描こうとして失敗したのではなく、成長が失敗する物語としてΖを描いた」なるほど。ここはとてもよく分かりました。
「・・・と見る方が、Ζが現実認知の物語である以上必然のことであった」ひっかかるのはここです。気になるのは「必然」だけです。たぶん「あの時代の必然」でしょうかね。でなければ、新訳が嘘になっちゃう。
「道を示すべき大人」が迷いの中にいるからこんなことになるんだよ、というのには大納得です。といって、テレビ版結末を「間違い」と断罪できないことも、「或る青春の象徴」としてようやく理解できそうです。
これだけ考えるに足る物語というのは、やっぱりすごいんだなぁと素朴に思っております。

投稿: 囚人022 | 2006.03.26 23:14

>囚人022さん 遅くなりました。

 囚人022さんとこの教養小説の記事も拝見しました。こちらではあくまでΖヒストリカ03巻の内容に絞らせていただきましたが、こちらの言わんとするところをお分かりいただけたようでよかったです。もし機会がありましたら、また03巻読み直してみていただければとも思います。

> 「・・・と見る方が、Ζが現実認知の物語である以上必然のことであった」ひっかかるのはここです。気になるのは「必然」だけです。たぶん「あの時代の必然」でしょうかね。でなければ、新訳が嘘になっちゃう。

 これは03巻の内容についての言及なので、あくまでTV版についてですから勿論「あの時代の必然」です。新訳はその現実に対する見方を変えるというのがテーマですから、新訳での現実認知がTV版でのものと異なる結果になるのもまた必然のことでしょう。

> 「道を示すべき大人」が迷いの中にいるからこんなことになるんだよ、というのには大納得です。といって、テレビ版結末を「間違い」と断罪できないことも、「或る青春の象徴」としてようやく理解できそうです。

 前半は本文にも書きましたがGXとか新訳ですっきりできるんですけどね。
 でもやはりTV版も青春には違いないのですよ。

> これだけ考えるに足る物語というのは、やっぱりすごいんだなぁと素朴に思っております。

 仰るとおりです。20年ノンストップで付き合ってるのに、まだ新発見があるんですもの。びっくりですよ。Ζヒストリカはそんな新発見がてんこ盛りです。

投稿: しののめ | 2006.04.07 22:42

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