ZGIII・お調子者とは誰か
「劇場版 機動戦士Ζガンダム 第3部 星の鼓動は愛」関連、囚人022さんの記事。もうご本人もすっかり忘れておいでかと思いますが(_o_)
ヘンケンの死後、しつこくまとわり付くジェリドのバウンドドッグをカミーユが撃破し、沈み行くラーディッシュに向かっていって爆発します。それをにらんで「戦場でじゃれているから!」みたいなセリフをカミーユが言うんですが、あれはジェリドをダミーにしながら、その向こう側にあるヘンケンの死に様に対しても、“どうしてこうなってしまうんだ!”というやるせない思いをぶつけた暗喩だったように私には聞こえました。
(なんてことを言いやがる、という批判は覚悟しています。)
まず細かいツッコミをすると、「バウンドドッグ」ではなくて「バウンド・ドック」です。
やるせない思い、自体はそうなんですが……ジェリドはダミーなんかじゃないですよ。と思っていたら、寄せられてるコメントでどんどん「はしゃいでいるのはヘンケンである」方向に裏打ちされていってように見えました。
解釈は見る人それぞれとは承知していますが、自分にはそうは思えませんでした。
まず、第3部本編の流れを整理しておきます。←これを劇場で確認しようとして長々と寝かせてしまいました。
●エマのマーク2を救おうとしたラーディッシュがヤザンの攻撃を受ける。ヤザン哄笑。
●その危機を察知し、ジェリドのバウンド・ドックを振り切って駆けつけたカミーユだが「ラーディッシュに……間に合わなかった?」
●ヘンケンがエマの名を口にして絶命する。
●そこへジェリドが追いつき、Ζを掴んで笑う。
●バウンド・ドックを振り払ったΖが撃つ。バウンド・ドックはラーディッシュを沈めきる爆発に飲み込まれていく。「戦場で、はしゃぐから……はしゃいじゃうから」
命のやり取りをしている戦場で笑っているジェリドを「はしゃいでる」とカミーユはみなしていると自分には思えました。寧ろここは、TV版とはカミーユの台詞が全然違うのが「新訳」らしいところで(詳細は省きますが)、ジェリドを葬りつつも、できればこんなことはしたくなかったという悔しさが見て取れるんです。台詞の文字面だけじゃなくて、ここは飛田展男さんの演技と、旧画だけどここで既にやりきれなさが表現されているカミーユの表情を見てやってください。「お調子者」と言いつつも、悼んでもいるんですよ。ジェリドのことを「忘れていた名前だった」としていた小説版とは大違い。
そしてラーディッシュを沈めて笑っていたヤザンも、後で「遊ぶな!」とカミーユの更なる怒りを買って撃墜されてます。ちゃんと筋を通した描写なんですよ。
元記事の元々の話題に戻ると、ラーディッシュでマーク2を守ろうとするのはTV版でも劇場版でもまずクルーが言い出したことです。TV版ではグラサンの一人置いて隣の人が言い出すんですが、第2部での「エマ・シーンに当てずに連射ぁ!」を聞いて、あ、もう第3部ではこのグラサンが言い出すなーって見えましたよね(^^; 劇場版だとクルーが次々と自分に出来る指示を出しているのをぼーぜんと見ているヘンケン、という絵になっていて、TV版と印象違って見えました。寧ろTV版の方が、劇場版には存在しない、艦を優先するヘンケンの台詞を挟んでいますので、よろしければ見直してみてください。ってもう上映終わってるところ多数ですが(_o_)
そして、この少し前の状況も違うんです。TV版ではグリプス2を防衛していたラーディッシュがアーガマを待ちつつ奮戦していたのが、劇場版ではティターンズを引き付けたラーディッシュの危機に、ブライトがエマを向かわせたのだけれどマーク2が被弾してしまい、「アーガマめ! なんでエマを一人にした!」となるわけです。劇場版の方がヘンケンとエマの関係が成熟しているというのが、こうした描写からも見て取れます。ただブライトなりの気遣いが裏目に出てしまったのは、Ζヒストリカ11巻での富野監督インタビューでの
こいつらイイモノやってるように見えるんだけど、実は戦争のことしか考えてないバカの集まりだった
を思い出させるんですが、それは物語の外から見たときの話なので。
で、物語の中で「戦場で女性を利用する男なんて、まともじゃないよ!」というカミーユにしてみれば、戦場で女を守ろうとしたヘンケンは蔑みの対象にはならないでしょう。寧ろそのヘンケンの死を見たからこそ、残されたエマを何としても生かしたいと思って、あのバイザー開けをしてみせる訳です。
それ以前に、ケーキを前にすっかり夫婦の会話をしているヘンケンとエマを見て笑みを浮かべるカミーユという前振りがあって(このカミーユの表情は新訳ならではのもの)、バイザー開けがあって、そのエマを看取るカミーユというのがある以上、ヘンケンを「はしゃいでる」と見てしまうのは辻褄が合わないと思えるんです。このあたり、例によってΖヒストリカ12巻の富野監督インタビューでも触れられています。
ただカミーユの台詞に「恋心」を指して「戦場で口にする言葉か!」というのがあるんですが、これはカツの身勝手を諌めるための言葉なので(サラに対する「八つ裂きにしてやる!」と同じで必死になるほどカミーユの言葉は暴走する)、それを受けたカツの台詞は明らかな誤解。分かっているから死なせられないんでしょ……とか見てくると、余計にね、カミーユにとって「ラーディッシュに間に合わなかった」のは悔やまれてならないんですよ。だからそこに笑いながら絡んでくるお調子者のジェリドが許せないの。きっと。←とどのつまりはただのカミーユスキー
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コメント
こんばんは
私は、誤解していたようです。
ヘンケンさんがエマさんを助けようと艦を盾にした・・とばかり思っていましたが・・クルーが口火を切っていたんですね。
なんだか・・なお更切ないです(泣)
大人達が戦争に対して、どこか切実でないことにカミーユは怒るんでしょうね。
カミーユの気持ち、分かるような気がします。
投稿: 紅海 | 2006.04.20 01:12
>紅海さん おはようございます(^^)
確かにあの場面はTV版でもヘンケンの独断と思われがちなのですが、情報量の多い作品ですから、クルーの行動を見落とされていても無理はないと思います。
まずエマに気づくのはヘンケンなんですが、「アーガマめ! なんでエマを一人にした!」というヘンケンの台詞の後で、グラサンがヘンケンの心中を汲んで「ラーディッシュ、エマ機救出に前進!」とかって先に言ってしまうんですね。その前にもグラサンはヘンケンに「分かってるじゃないか」と自分の指示を褒められてる場面もあって、第2部の「エマ・シーンに当てずに連射ぁ!」と合わせて伏線になってます。自分もエマが好きなのだろうにヘンケン艦長がエマを好きだからって……切ない(i_i)
> 大人達が戦争に対して、どこか切実でないことにカミーユは怒るんでしょうね。
> カミーユの気持ち、分かるような気がします。
そうですね。そう言っていただけると嬉しいです。
戦争というだけでなく、世界の見方や、扱い方について大人は誠実であってほしいのでしょうね。大切にしなくてはならない人の命、その命を産む性である女、そして全ての命の源である地球といったものを蔑ろにする大人が許せないというのが、カミーユの原動力になっているのだと思います。だからこそ、そうした大人として目の前に現れたシロッコを倒した後、自分の前に残されていた命であるファをカミーユがその体で抱きしめたのは、凄く自然なことだと思えて良かったと思います。DVDが8/25リリースと決まりましたので、またよろしければ見直してみてやってくださいね。
投稿: しののめ | 2006.04.20 08:33
毎度お世話になっております(つい先日もたいそうお世話に(^^;)。女将です。
読ませていただいて驚きました。ええっ、お調子者はジェリドに決まってるじゃないの!何、何、何なのーっ!・・・と錯乱してしまった私はジェリド好き。Mk-IIとマラサイとガブスレイのプラモを並べて「ジェリド戦隊!早くバイアランとバウンド・ドックを!」と叫ぶほどに(爆)。
かの名(いえ迷)台詞「貴様は俺のーっ!」が消えた上に、カミーユからあんな言葉&表情で悼んでもらったジェリド。劇場版では出番も少なくて、カミーユとの絡みも薄くて、いっそ存在しない方がお話としてすっきりするんじゃ?と第2部時点では思ったりしました(おい)が、あの最期にはジェリドファンとしても満足しております。
だから・・・かなり驚きました(^^;
投稿: 女将 | 2006.04.20 22:46
トラックバックありがとうございました。
私はカミーユが、ヘンケンに対しても「死んじゃったら何にもならないんだ」と言いたかったはずだと思うのですが、これは受け止め方の個人差の範疇なのでしょうね。ぼかして表現されていることを「絶対にこうだ」と解釈を争うことは、適切ではないという気もします。むしろ、こういうように多少解釈が分かれる部分を許容しているところが富野アニメらしい懐の深さだとも思います。
ただ「蔑み」というのは私の感じたこととも違うので、そう読めてしまったなら私の表現力不足です。
投稿: 囚人022 | 2006.04.20 23:32
初めまして。今更ながら映画のカミーユってなんか可愛いかった。ユウ→ロラン→ゲイナーとキャラがだんだん柔らかく、幼くなってきていて(安彦タッチに近くなってきているような、、、)、カミーユもかなり補正されてました。できれば全編新画でみたかったような気もします。
それにしてもZⅢのヘンケンの死はすごく感動的でした。それも何気ないエマとの描写が追加になりTV版よりずっと感情移入しやすくなっていたからですね。
ジェリドはマウアーと一緒に戦死の方が印象に残ったかも。フォウはあんなにあっさり退場させたのに、なぜジェリドはTVどおりだったんだろう?
投稿: わんこ | 2006.04.29 10:28
長らくコメントできず大変失礼いたしました。
>女将さん 別件も保留中ですみません。
驚きがあればこそ世界は美しいのですよね(^^
いっそジェリドは第2部で退場していた方がとは自分も思いましたが(ラーディッシュのグラサンクルーの方がキャラが立って見えるってそれでいいのかと)、Ζヒストリカ12巻での富野監督のお言葉によれば、どうにもあそこで「お調子者」呼ばわりされてしまうことこそが彼の存在意義だったようです。と自分には思えたのですが。
でもあの結末をファンに満足してもらえたというのなら、ジェリドは幸せですよ(^^)
>囚人022さん
「絶対こうだ」という主張の押し付けをしたつもりはありませんでしたが、そう思われても仕方のない書き方かと思います。大変失礼いたしました。「蔑み」については「お調子者と評すること」と読み替えてください。
何と申しますか、「自分にはヘンケンは『お調子者』と描かれているように見えなかったのですが、具体的にヘンケンのどういう部分が『お調子者』として描写されていたのでしょうか?」とお返しすると何か喧嘩を売ってしまうように思われてそうは書かずにおいたのですけれど、却ってそういう直球の方が良かったような気もしました(いえ勿論喧嘩を売るつもりは毛頭ありませんが(^^;)。
解釈の揺れはあって当然のものなのですけれど、この「お調子者」についてはその別解が自分にはどうもピンと来なかったのです(やるせなさが双方に掛かるという部分までは分かるんですが)。男性にしか分からないヘンケンの「お調子者」ぶりが描かれていたのであれば、それを教えていただきたかったなと。先の富野インタビューに引きずられすぎているという自覚はありますから、余計に別解を理解したいという欲もあります。──ってこうお返しするのにこれだけ時間置いてしまってはいかんともしがたいものですが(_o_)
>わんこさん 折角書いていただいたのにすみません。
新画のカミーユは確かに可愛くって、TV版のカミーユが終盤どんどんシャープになるのに新画も追いつこうとしていましたよね。全編新画だったら、もっとお話が変わってしまっていたようにも思います。やはり終盤のあの張り詰めた感覚は、TV版の絵を使ったから保てたようにも思えるので。
ヘンケンの死については、仰るとおりエマとの関係がきっちり描かれたからこそのものですが、絵はTV版そのままでもあの音楽なら泣かずにはおられないものになってましたね。
ジェリドの死があの時点になった点については、先にも挙げましたが、Ζガンダムヒストリカ12巻での富野監督インタビューに監督なりの説明はあります。マウアーを失って、それでもティターンズ軍人としてあったジェリドの生にも意味があったということでもあります。
投稿: しののめ | 2006.05.27 01:16