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2006.09.17

是我痛と色即是空(#24つづき)

 ゼーガペイン#24「光の一滴」での「色即是空」について。自分では例の龍樹(ナーガルジュナ)の連想から、空の思想はゼーガの世界観と通じるなぁと思っていたし、空の思想と量子論は相性が良いこともあるので、寧ろやっと出てきたかという感じでしたが。

 空の思想と量子論は相性が良いというのはこちらが分かりやすいです。

松原隆彦:空と物理学について / 空と物理学について、その2

 以下果てしなく自分用のメモ。

 まず「色即是空、空即是色」について、本編でキョウが口にした解釈。

 色即是空、この世に存在する色形あるものは全てつかの間。
 空即是色、しかしついさっきまで存在したものが滅び去った瞬間またぞろ様々なものが生じてくる。

 勿論この解釈で本編は充分分かるんだけれど、折角なので原典に戻ってみる(参考:般若心経ドットインフォ)。

■普遍智蔵般若波羅蜜多心経

色性是空空性是色。色不異空空不異色。色即是空空即是色。

■中村元・紀野一義訳注「般若心経・金剛般若経」

 この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。
 実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。
 (このようにして、)およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。

 色とは物質的現象=姿形のこと、空とは実体がないこと、この両者は同一である。

 アルティールとガルダが消えたと聞いたシマが「色即是空、空即是色」と呟くのは、シマは2機のゼーガが量子化されてサーバーに取り込まれた=幻の世界(空の世界)に渡ったと分かったからではないか。ゼーガは量子化され実体を失ったが、それは色(実体)が空(実体でないもの)と同一のものであるのなら、別に嘆くことではないのだ。それに、空の世界にはシマのオリジナルが存在する。作戦はフェイズ3に進むことが出来るのだ。シマにとってはこれも織り込み済みだったのではないか。そして空とは即ち色であるから、彼らはきっと帰還するという予言とも読める。

 この後、アルティールとガルダがマインディエのホロニックスピアに包囲された中で、アビスの「消えろ、ソゴル・キョウ!」の台詞の通りに消え失せるが、アビスは「幻体は自らその色を消したというのか」と呟く。ここで「いろ」と発音してるからあれっと思うが、この「色」を「しき」と読めばそれは姿形のこと(つか「しき」と言われても分からんわな)。つまり「色即是空」の話はここでも続いていると見ることができる(でもずっとサーバーの中だよね)。

 で、色を消した幻体(実際彩度が落ちてるしってアビス達もだよなー)がたどり着くのが、色のない白い雪に包まれた寺。ここでシマのオリジナルの口から再び「色即是空、空即是色」が出てくる。このオリジナルは幻体の第1号だといい(あーやっぱりなーって感じ)、つまりは初めて色を失い空の世界の住人になった人物である。
#厳密に言えば、キョウたちもシマのオリジナルも、仮想空間の中では色のある存在であって、本当の意味で色を失ったものとはナーガのことなんだよな。

国立民族学博物館|研究部:民族学者の仕事場 Vol.3 立川武蔵[4/13]「中論」研究 ─ 空と色

 ある人は、空というのは真実だといういい方をする。すると、色形あるものも真実だということになって、色形あるものが否定されるべき対象ではなくて、このまま許されることになる。
 わたしはこういう絵を描くんです(図1)。この横軸が時間ですね。上部が空で、下部が煩悩、俗なるものを意味します。俗なるものを否定していって、空に至ったときには、そのまま空に住むんではなくて、また空からもともとの世界に蘇ってくる。インド的な場面では、色形あるものは移ろいやすいものだから執着するなということで空に導く場面というのが強調されるんですね。ところが、中国ではむしろ、空に至ったあと蘇ってくる、許された世界が強調されるんです。

 宗教行為における否定と肯定の図。俗なるものを否定して空に行き着いても、肯定によって蘇るというこの考え方と、現実世界での復活を目指すゼーガの世界観が自分の中では被る。あと次のページの「インド思想 ─ 実在論と唯名論の闘い」での、

 空思想では、この属性もなくなってしまう。属性もなくなって、空だというわけです。じゃあ、虚無になるかというと、そうではなくて、蘇るんです。ただし、ことばによって、すなわち名づけられるものとして蘇るだけで、実在として蘇るわけではないんです。

 というあたりとか気になったり。哲学というのは一朝一夕に分かるものじゃないんで、あくまでも自分用のメモだけど。

 で、龍樹に戻ると、この人は実は「色即是空」という言葉は使わず、「一切は空である」と説いた。空とは縁起であり、ありとあらゆるものに実体はなく、全て縁りて生ずるものなのだという。空の思想では、この関係性が重要視されるあたりも量子論との相性の良さの所以。──観察するものとされるもの、そしてエンタングルと呼ばれる量子と量子の絡み合い。ありとあらゆるものは、相互の関係性によって成り立っている。

松岡正剛の千夜千冊『空の思想史』立川武蔵

 ナーガルジュナはxとyの空の在り方も、xとyの縁起の有り方も、実は言葉の過信を捨ててかからないかぎりは議論できないことを見抜いたのである。
 すなわち、「空」を感じるにはその「空」をめぐる言葉を捨てながら進むしかなく、そのときなお、仮の言葉の意味を捨てながらも辛うじて残響しあう互いの「縁起」だけに注目すれば、本来の「空」を感じる境地になるだろうと説いたのだ。
 これは、仏教思想において初めて言語の虚飾を払った哲学として特筆される試みで、中観とは「空の思想」であって、「言葉を空じる試み」であったわけである。

 雪の庭にはゼーガペインという物語が拘り続けた水の音。命の源である水は形を変えてうつろうもの、すなわちこれ色即是空。その命の芽吹き=再生の春を告げる雪割草を見せられて、色即是空の文言を口にするキョウ。言葉による問答を経て、「そういう君だからこそ、見せたかった」と言われて「めんどくせぇよ、バーカ!」による一喝という言葉にならない問答に至るのは、ある意味この空の境地に行き着いてしまっているような。このとき、どさくさに紛れてキョウがリョーコと手を繋いでるのさえ、空と縁起とは同じなのだということを体現しているようにさえ見えてくる。データの真実を見抜くカミナギも恐いけど、事の真実を言い当てるキョウちゃんも充分恐い。

 空とは縁起であり、それは最高真理である。それに触れたものが、色の世界に戻っていく。──光の三原色を合わせると、それは色をなくして白色光となるのだけれど、3色の光まとうもの=ゼーガペインのうち、ガルダがやばくってフリスベルグはオケアノスと一緒に落ちちゃったのか? 大丈夫かアルティール。大丈夫だよねキョウちゃん、と言いたいところだが次回予告があまりにも不吉だ(i_i) でもきっと、キョウちゃんなら大丈夫。

#24「光の一滴」 ◆ #24「光の一滴」さらにつづき#25「舞浜の空は青いか」

カミラボ:ゼーガペイン
トラックバック・ピープル:ゼーガペイン

4061596004空の思想史―原始仏教から日本近代へ
立川 武蔵
講談社 2003-06

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4061595482龍樹
中村 元
講談社 2002-06

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コメント

量子理論が色即是空空即是色と言う仏陀の言葉にたどり着くと聞き調べていた所 むいむい様の部屋にたどり着きました。なるほど勉強になりました。

投稿: meirakira | 2009.03.03 20:31

>meirakiraさん こんにちは。

 空の思想と量子論については、この記事冒頭でご紹介した松原隆彦氏の文章が分かりやすいので、ご参考になりましたら幸いです。

 その後の文章はひたすらゼーガペインというアニメ作品の話なので、ゼーガをご存じない方にはまさに寝言であろうかと(^^;

投稿: しののめ | 2009.03.11 23:21

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