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2007.01.24

《RELAX》第12回公演 絹の龍 本物と偽物

 《RELAX》第12回公演「絹の龍~シルクドラゴン~」の感想つづき。初見感想はこちら

 終演しているので舞台本編に踏み込みますが、 「あー面白かった! やっぱハッピーエンドは良いよね(^Q^)」 と気持ち良い後味を楽しんでいる人は、以下の文章はその気を削ぐかもしれないのでご注意。


 眩しい光溢れる所には、暗い影が必ず寄り添っているものなのですよ。ゼーガペインの「ミテイルセカイヲ シンジルナ」ってつくづく使える警句だなぁ。ってことで、要はそういう 「本物と偽物」 についてのお話です。


甘越 価値があるから本物ではなく、本物であるから価値がある。
里見 存在する以上はすべては本物であり、人が付けた価値により
    偽物が生まれる。

 あまりにも印象的なこの冒頭の台詞。舞台では甘越の背後に「本物」である芳、里見の背後に「偽物」である香花(シャンファ)が居る。この4人を中心に物語は展開するが、この場面での本物か偽物かという価値観が二人の運命を分けることになった。──ただしそれは、本物の世界での史実に照らした場合において、ということなのだが。


 観劇後にお茶してて、「今回ほんと面白かったねー」というのは決して間違いではないのだけれど、「でも結局は御伽噺だし」とか「アニメでありがちな、裏設定なんて(以下略)みたいなもので、フィクションはフィクションとしてそれだけで楽しむが吉だと」みたいな話になってしまったのが、この舞台での第一声であった 「本物と偽物」 のオチなのかなぁとも。だから、今回は後味は悪くはないのだけれど、悪くないというだけであって、決して良いというものでもない。ちゃんと救いはあるのだけれど、突き落とす落とし穴も用意されているのが、やはり《RELAX》の作劇なのでした。ただ、前回の「ベルベット・スパイダー」では、その落とし所が劇中とエピローグに配されていたのに対し、今回は劇中ではなくて客席に置いてあったんだなぁと。

#これに似た感覚は、やはり「こんなハッピーエンドなんてありかーい!」とちゃぶ台返すくらいの大逆転で終わったのに、という劇場版機動戦士Ζガンダム 第3部での「Dybbuk」オチで味わいましたよ。ゼーガの最終話は似て異なるか。


 先にも書いたとおり、今回の舞台はフィクションとしてのリアリティを追求したと映るもの。資料編で並べ立てたことの全部を知らずとも、昭和史を振り返れば現実はあんなものではありえない。今回の物語は、夢の国での出来事だ。観客に向かって語り手が繰り返していたではないか、これは 「夢の冒険活劇」 であると。

 大きな国と小さな国が戦争をしている最中の、現実から切り離された撮影所。そこに集う人々は夢の国の住人だ。誰もがそれぞれの夢を持っている、だけど夢は一人では紡げない。だから彼らが集う撮影所で、皆が見る夢が紡がれる。その夢を紡ぐために、誰かを利用し、そして誰かに利用される。その関係を持つことで、夢の国の住人になれるのだ。

 だが戦争は終わって夢の国は消える。利用し利用される関係は断ち切られ、彼らは散り散りになる。だが、現実では死ぬはずの人間が死を回避したところから、夢物語の大逆転が幕を開ける。そして、かつての夢の国の住人達が次々と撮影所に帰って来る。皆が揃ったところで、彼らが紡ぐ夢を描いた物語は「一巻の終わり」となる。映画という夢を見送る拍手の後、ざわめきの中で客電がつけば、そこには紛れもない現実がある。


 初日に見てからずっと気になっていたのが、これは誰が見ている夢なのかということだ。

 この夢の卓で親をやっているのは間違いなく里見だ。彼の尽力で夢の国に再び皆が集ったところで、彼が口にする「天和(テンホー)」とは、 「親の配牌の時点で既にあがりの形が完成している状態」Wikipedia)だという。まぁこれは天運というのではなく里見がイカサマ師なのかも知れんが(^x^;
 というのはともあれ、これは里見が見ている夢だという線は充分有り得る。そもそも里見が、薬瓶の中身を入れ替えて甘越に返したところから、物語は歴史の裏側へひっくり返ったのだし。そんな里見の夢は「世界一のクソジジイになることだ」そうだから、世界を叉に掛けたお節介な彼は、このまま夢の国に集う皆の夢を紡いでいくのだろう。

 その夢の国に戻ってくる人々はそれぞれの夢をきちんと持っている。だが最後に戻ってくる阿宜(アギ)と婉容(ワンロン)に少々引っ掛かった。いや、この場面はハッピーエンドの総決算とも言える名場面なのだけれど。
 阿宜の見ていた夢は、大きな国の皇帝としてあること。だが大きな国は消えてしまった。夢が消えて現実を見たとき、香花の歌った「夜来香」のおかげで、ようやく阿宜は連れ合いとしての婉容をその視界に入れられるようになり、彼女に手を差し出す。ここで躊躇う婉容と、なおも手を差し伸べる阿宜という構図での間の取り方が最高で、今回の舞台ではここが一番泣けてきた。──という所感はともあれ、ここで阿宜の夢は婉容と連れ添うことに変わったのだと見れば、仲睦まじく撮影所に現れた二人は確かに夢の国の住人なのだろう。

 ここでタイトルを振り返ればそれは 「絹の龍」 だ。とすると、夢を見ているのはこの「絹の龍」なのではないかという気もしてくる。絹というのは大きな国を指す修飾語句で、龍は劇中にあるとおり皇帝の代名詞。絹を纏う龍とは文字通り大きな国の皇帝=阿宜のことだ。鯉は滝を昇れば龍になるというが、里見の言うように鱗が剥がれれば(龍の衣=皇帝の衣装を脱げば)龍は鯉になる。

 当初阿宜が見ていた、皇帝としてあろうとした大きな夢が、小さな国の思惑と重なり、撮影所という夢の国を生み出した。そしてその夢を失くした阿宜が婉容と連れ添うというのは、すみ子が言うような「信じていればいつか本物になる小さな幸せ」でしかないかもしれないけれど、その小さな夢があればこそ、二人はただの鯉としてあの夢の国に帰ることができたのだ。そう思えば、この夢を見ているのは「絹の龍」であった阿宜なのだろうかと。
 或いは最後の劇中劇となる映画の場面で、永新(玉麗)と野菜売りの娘(ルーチュ)とが寄り添う姿が、阿宜と婉容に切り替わるカットは、《RELAX》ならではの光と闇を生かした絵作りが美しいが、この場面を作り出したのが銀の鯉(芳)であることから、やはりこれは龍にもなれる鯉の見た夢ということなのだろうか。

 ただま、夢の国の住人自身が見ている夢、という構造はこの手合いのフィクションとしてはよくあるものだし、これをフィクション=偽物と判断しているのは客席で見ている自分なんだよね。ということで、冒頭の「本物と偽物」の話に戻るのでした。偽物には偽物なりの価値があるんじゃないかとも思いますけれど。彼らは確かにあの舞台の上で恰好良く生きていたのですから。

 いえね、ロビーで戸部さんとお話してて、「大丈夫。夢の国の住人は死なないから」と言ったら戸部さん笑ってらしたのよ。あーこりゃビンゴかぁ、とも思ったのだけれど、でも戸部さんのいつもの笑顔だったとも言えるしなぁ(^x^;
#その節はありがとうございました&失礼しました(_o_)>こころあたり


【余談】
 先に 「うっかり一瞬展開が被って見えるところもあった」 などと書いていたのは、まぁこんなとこ。考えすぎだと思いますけどね。

ゼーガペイン
 冒頭の「本物と偽物」からそうなんだけど、すみ子の「小さな幸せ」の定義とか、うわっやっぱ最後に本物と偽物とを混乱させて落としてくれたよ! とか。

bpm「クイックドロウ」
 物語を作る最中の劇中劇というのも被らないではないけれど、何より未完成の物語の安易な結末はやっぱ駄目じゃん! ってことで、玉麗(ギョクレイ)姐さんの 「物語に深みってものはないの? 主人公の苦悩とか、観ている人をドキッとさせる何かとか」 というあたりでつい吹き出してしまいました。すみ子さんのおかげであっさり突破できて良かったね白(パク)ちゃん。

 でもこういう細かいところというよりも、この流れで見てきたからこそ予想通り何だか大騒ぎでした、という感じです。はい。いやほんと、面白かったですよん(^^)

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