是我痛:ありえないありえなさ2
先の「是我痛:ありえないありえなさ」でのゼーガペインのメカのCGに関して、囚人022さんからコメントも戴いたんですが折角記事を起こされているのでそちらを引きつつ。
しののめさんのご指摘は、『ゼーガペイン』では、そのあり得なさをどうやら逆手にとってストーリーに活かしてますよ、ということだと思います。コメント欄にも書きましたが、私が『ゼーガ』を1話以来見ていないのは、肌合いが合わなかったからではなくて、ただ他の視聴予定がつかえていたのと、レンタル屋さんで『ゼーガ』はまだ新作コーナーから下がってこないので(笑)、それを待っているというけち臭い事情だったのでした。
当方にコメントいただいた文面と被りますが、お答えいただいてどうもありがとうございます。
そういう事情であれば安堵するものですが、先の文面だけだと好感触なのかそうでないのかつかみかねたものでして、お題だけ戴いて自分勝手に書いてしまいました。
「ゼーガペイン」では 「(CGで描かれるメカの)ありえなさを逆手に取ってストーリーに活かしている」というのは仰るとおりですし、そういうことを書けば良かったんですよね(^^; 何だか好きにこねくり回してしまってすみませんでした。
CGで描かれるメカの「ありえなさ」というのは、従来の手描きで描かれてきたメカの重量感であるとかディフォルメされた動きの「作られたリアル」と比較されてしまうものなのでしょう。計算で描かれるCGの方が実際にはリアルに近かったとしても、30年以上培われてきた「作られたリアル」のリアリティにはまだ敵わないと。
以下質感と動きの話が混ざってしまいますけれど、サンライズ作品に限りつつメカのCGについて、またも好きにつらつらと。
「Gセイバー」(1999/2000年・CGはDIGITAL MUSE)でのCGはリアル志向。実際にあの重量のシロモノが動けばあんな動きでもまだディフォルメの範囲ですが。質感も含めて、これはこれで個人的には好きなものでした。
一方、「MS IGLOO」(2004~06年・CGはサンライズD.I.D.他)は手描きの方法論に近い3DCGで描かれているものという印象があります。その最たるものが秘録第1話でのサラミスの超急速回頭なんですが、あのスタコラサラミスというのはリアルからは程遠いディフォルメされた動きなんですね。「CGなのにリアルじゃない」って意見が出たりする、まさに「ありえない」場面でした。まぁあれは笑うところだ、と思ってしまえば普通に笑って見られてしまうんですが、CGだって結局は「作られたリアル」でしかないんですよね。ただ「MS IGLOO」のCGが比較的受け入れられているのは、金属などの質感への拘りだとか、それこそ20年以上のガンダムの伝統に沿うのを意図されたものだからなのかとも。これはこれでアリだよなと。
その「MS IGLOO」の今西監督が「ゼーガペイン」のCG班を率いておいででした(2006年・CGはD.I.D.)。質感については先述しているので省略しますが、あのゼーガの動きの軽さというのは、先にも書いたとおりゲーム的な軽さを重ねつつも、「MS IGLOO」と同じ流れの上にある手描き的な方法論を適用しているものと見ています。開始当初は自分でもちょっと物足りない感想を書いてしまってますけれど、物語の展開に合わせて#06あたりからぐっと動きが良くなりますし。タメの動きとかは#01から好きだったんです。独特の直線的な飛翔にしたって、直線に入る前のタメの部分から見てると凄く気持ち良いし。
#16でのアンチゼーガ戦での超機動は、それこそ「ドラゴンボール」なんかでもこういう動き見るよねってくらいディフォルメの強いものでした。ただそれがゼーガという物語の中で描かれると「そりゃー乗ってるのが人外だもん、これだけの急制動掛けたって死にゃしないよな」(←酷ぇ)という理解になってしまうのが面白いところです。
でも手描きではないという絵面への拒否反応が根深い=ノスタルジアという大きな壁があるのは痛いところ。ANIMAXで再放送中の「Z.O.E Dolores, i」(2001年・ロボは基本手描き)を見てると、これはゲームとのコラボ企画ってあたりでゼーガのお姉さん的な存在なんですが、今作るならメカは全部CGだよなーと思ったりもします。何せオービタルフレームは何でもありすぎなので、CGの方がその「ありえなさ」が活きるよなぁ、とも。ゼーガを見てしまうと、手描きではまだるっこしく映るところもあるんですよ。#19のトリガラうじゃうじゃが手描きだったようなのは恐れ入りましたけど、CGだったらもっと「うじゃうじゃうじゃ」だったのだろうかとか。
でも手描きだからこそのハッタリが効いている面もあるのでしょうし、何よりドロレスのヒロイン性は手描きであればこそでしょうか。うーんでも「SDガンダムフォース」(2004年・CGはサンライズ谷原スタジオ、サンライズインタラクティブ他)の#51「大決戦! ジェネラルVSみんな」なんてフル3DCGでもハッタリバリバリのアクションだったし、メカものではありませんがゼーガと同じ今西組の「恐竜キング」(2007年・CGはD.I.D.)でのCG恐竜も表情豊かになってきてるから、やればできるんじゃないのかなぁ。恐竜キング#29「サバンナの恐竜密猟団!」のバトルはマジで凄かった!
などと脱線しつつゼーガに戻ると、ゼーガを手描きで描いていたら、作品世界が崩壊しちゃったんじゃないのかとも思ったりする訳です。手描きなら従来の文法での質感なり重量感なりを描くことは出来るのでしょう。でもCGであればこそ、幻のような光装甲を纏い、実体として存在しながらも光に溶けて消えてしまう、独特の力強さと儚さとを併せ持つゼーガペインが描けたのではないのかと。これが金属光沢バリバリのハイライト入りで重量感たっぷりの手描きで描かれてしまっていたら「光が失われれば存在は消えてしまう」というあの世界の儚い美しさが吹っ飛んじゃうような気がするんですよ。
こうして見て来ると、ゼーガのメカがCGだったのは、ゲームとのコラボ企画だからとか、透明装甲はCGじゃないと無理だとかいう作画の面での必然であったのは勿論だけれども、ありえないありえなさを描いた物語上の必然でもあったのだとも思えるのです。
#実際問題、コミック版XORの手描きのゼーガは力強さは充分なのだけれど残念ながら儚さは感じられない。お話が熱いからあれはあれで良いんですけどね。
見始めた当初に一瞬感じた違和感を、最後になって見事に逆手に取られて唸るという、とても気持ちいい体験を、先日『FLAG』でしたばかりなので、(何となく『ゼーガ』入り組んでて手強そうだなぁという印象はありますが、)“次にレンタルで観るかもしれないアニメ”候補の、かなり上位のほうに『ゼーガ』が入ってきましたよ。(笑)
そう仰っていただけると嬉しいものです(^^) ゼーガはほんとひっくり返りますよー。個人的には10年に一度の作品となってくれましたので、お楽しみいただければ幸いです。囚人さんは先にファフナーをお気に召していたようですし、ゼーガは新訳Ζとの親和性もあるとも見えるので相性は良いのかも。
あと余談ながら後半での
ロボットアニメの中で、ロボットというのは小道具なのかキャラクターなのか
これに関して思い出したのが片山一良監督。
「THEビッグオー」では「顔のあるロボット」のキャラクター性について拘ったような発言をされていました(オフィシャルガイドにて。ちょっと今参照できませんが(_o_))。
この方が「アルジェントソーマ」を作ったんだよなぁと思うと、フランクの造形にはとことん拘ってみせるのは当然として、ザルクには首がないというデザインが興味深く。フランクはキャラクターではあるのだけれど、首のないザルクは兵器なんだなと。ただ何故首がないのかが物語上で重要なポイントになるので、その意味ではザルクはまさしく「キャラクター性が失われたもの」なんですけれどもね。
【個人的メモ】
SDGF見返してたら、モーションアクターに「はじ」の名を発見。この方ってウルトラマンメビウス#37のジャシュラインの末弟の「はじ」さん? アベユーイチ監督つながりでは充分ありえるのだけれど。
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