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2009.06.23

沖縄慰霊の日

 今年の6月23日も、彼の地では眩いばかりに夏の空が輝いている。64回目の祈りの夏が始まる。

 大抵この時期の朝日新聞には沖縄戦関連の連載記事があるものだが、文字を大きくして文字数が減ったからなのか、今年は6/20付けのbe「うたの旅人」で、ザ・ブーム「島唄」が取り上げられていたくらい。青い海を背に三線を持ち歌う大城クラウディアさんの写真が美しく目を惹く。この歌で島を渡り海を渡るものとは何か、音階が一部違うのは何故なのか、いつの間にか耳馴染んだ歌の意味を改めて知る。

asahi.com(朝日新聞社):〈うたの旅人〉海を越えた魂 ザ・ブーム「島唄」

 webの写真より、紙面の写真の方が海の青がとても綺麗。
 この穏やかな海から鉄の暴風が押し寄せたというのが想像も付かない。

 式典で触れられていた1月の不発弾事故のことは知らなかった。東京都内でも少し前に不発弾が見つかっていたし、自分が学生の頃は木曽三川の辺りで不発弾処理のために毎年近鉄が止まっていた記憶がある。けれど沖縄で起きたのは事故であり、実際に人が傷ついている。

「不発弾事故 息子の幸せ奪った」・・・父親が訴え : 沖縄 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 人生を狂わされた純さんは悔しさを表に出さず、現実を受け入れようと耐えているが、怒りをにじませたこともあった。政府が補償金の支払いを認めず、支援金名目で750万円が支給された時のこと。「僕はただ目を返してほしい。目を返してくれるならお金なんかいらない」と悔しがったという。

 父親は「何でこうなったのか。息子はこんな状態で生きていくのか……」と憤り、国の責任で不発弾処理を行うよう強く望む。

 「なぜ孫の代まで沖縄戦の遺物に苦しめられないといけないのか。戦争をやったのは国でしょう。苦しむのは、もうこの子で最後にしてほしい」

<糸満市の不発弾爆発事故>1月14日午前8時20分頃、市発注の水道管工事現場で、地中約1メートルに埋まっていた米軍の250キロ爆弾に重機のショベルの先端が当たり爆発。古波蔵さんが重傷を負い、約30メートル離れた老人福祉施設の窓ガラスが割れて男性入所者が足にけがをした。現場は岩盤が多く、市は埋没の可能性が低いとして、磁気探査を実施していなかった。

 可能性が低いから探査をしない。その背景には、一々探査をしているだけの予算がないという事情もあるのだろうとも思える。

東京新聞:【関連】消えない戦争の傷 沖縄慰霊の日 遺族ら 平和の決意新たに:社会(TOKYO Web)

 米軍の艦砲射撃で亡くなった弟にお茶と花束を手向けた糸満市の農業仲間嘉享さん(81)は「畑を耕していると手りゅう弾が出てくることがあってぎょっとする」と顔をしかめ「もう二度と戦争が起こらないよう祈るだけです」と遠くを見詰めた。

 「戦争」は終わったのに、残された地雷などで傷つく人が居る。そんなことは海外の話だとつい思ってしまいそうだが、日本にも同じ現実がある。

不発弾で死亡 戦後710人/事故1087件 負傷1281人 - 沖縄タイムス

 県によると、沖縄戦では爆弾類20万トンが使用され、推定1万トンが不発弾で残った。米軍や住民、自衛隊などが処理してきたが、なお2300トンが地中に埋まったままとされている。72年から始まった陸上自衛隊第1混成団第101不発弾処理隊による処理件数は、2008年末で3万件を超えた。

 沖縄キリスト教学院大学の新垣誠国際平和文化交流センター長は、「大量に残る不発弾は、住民を巻き込んだ戦争の象徴。戦後も長期にわたり住民の日常生活を脅かし続け、東南アジアや中東の対人地雷、クラスター爆弾とも共通する。政府として国際社会の一員として、考えていくべき課題」と指摘した。

 鉄の暴風という言葉で表現される沖縄戦。あの戦争から繋がった時間が彼の地には流れている。それを肌身で知る人々が平和を祈りつつ暮らす地は、今も鉄の脅威と隣りあわせだ。

祈る 戦争なくす日まで 沖縄・慰霊の日 犠牲者遺族 思い新た  / 西日本新聞

 2度の核実験を行い、今も弾道ミサイルの発射準備を進めているとされる北朝鮮に向けて、沖縄の米軍基地からは偵察機が頻繁に飛び立っている。「一部の権力者のせいで愚かな戦争が繰り返される。犠牲になるのは父のような人なんです」

 沖縄戦で千数百人が動員され、半数以上が戦死したとされる「鉄血勤皇隊」。同隊に担任教諭が召集されたという由井晶子さん(75)=那覇市=は、激戦地だった沖縄本島南部にある「健児の塔」に供養に訪れた。由井さんは「今の日本も戦争に向かいつつあるのでは。先生にどう報告したらいいのでしょうか」と話した。

東京新聞:戦後64年 つめ跡いまも 沖縄『慰霊の日』 首相ら参列 不発弾対策を約束:社会(TOKYO Web)

 日米が二〇〇六年に最終合意した米軍再編計画は、騒音負担の軽減などを掲げ、沖縄駐留の米軍戦闘機の訓練を本土の自衛隊基地へ移転する策も盛り込んだ。しかし米軍の最新鋭戦闘機F22A配備などで騒音は激化、県民の願いに逆行しているとの反発も出ている。

 沖縄戦では一九四五年三月、慶良間諸島への米軍上陸以降、約三カ月間に日米双方で二十万人以上が死亡。うち住民犠牲は当時の県民の四人に一人にあたる約九万四千人に上った。平和祈念公園にある戦没者名を刻んだ記念碑「平和の礎(いしじ)」にはことし百二十三人が追加され、刻銘者数は二十四万八百五十六人になった。

 昨年のこの日には教科書での「集団自決」の記述問題のその後を追っていた。

教科書検定問題(asahi.com:マイタウン沖縄)

asahi.com:<社説>あの検定の異常さを思う-マイタウン沖縄(2008年11月04日)

 太平洋戦争末期の沖縄戦で、住民の集団自決に日本軍が深くかかわっていた。そのことが大阪地裁に続いて大阪高裁でも認められた。

 今のところ参照できるのはこの記事が最後。慰霊の日を報じる記事では、戦争を語り継ぐことの難しさと大切さに触れるものが多い。教科書というものは未来を担う子供達のすぐ身近にあるものだ。その内容は子供達に真っ直ぐ届くものであって欲しいと切に願うばかりだ。

■沖縄慰霊の日 過去記事
 2004年 / 2005年 / 2006年 / 2007年 / 2008年

沖縄戦関係資料閲覧室

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