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2009.07.06

ゼーガペイン 忘却の女王 つづき

 ゼーガペイン小説版『ゼーガペイン 忘却の女王』の感想つづき。今回はネタバレあり。

 ←初見感想ネタバレなし余談ネタバレなし


 まずは著者の日下部さんのblogにて関連記事の続きがありまして。

わしの部屋 the BLOG ≫ 6/29 なんだよ

でも、もし次があれば、さらにこうプロモーションになるような切り口でお話をですね、ひとつ。やっぱり本編絡みがいいのかなあ。そうなると、もっと綿密にキャラクター描写とか検証していかないと、オリジナルと齟齬が生まれるのでアレですが(本編絡みの場合は、今回のようなごまかしはやりませんしできません。やっちゃいけないと思ってます)。それなら関島さんたちのような、脚本やられた方が書かれた方がいいのかなあとかとも。

 プロモーションということを念頭に置けば、確かに本編絡みが強いのだろうとは思います。
 ただちょいと下の感想本文で書いたことと被るんですけれど、あくまで個人的には、本編絡み ではない ものが読みたいなぁと思ってます。

 本編絡みならドラマCD第2弾が欲しいなぁと今でも思ってますし、舞台化だって諦めていませんし。ってこの舞台の内容は本編絡みで考えてますよねやはり。というのは、本編はアニメとしての映像も勿論良かったのだけれど、浅沼さんをはじめとする役者さんの力も凄く大きかったと思うからで。

 小説の場合は文字にしかない自由度というのがあるので、今回みたく別の艦の物語というのが世界観が広げられて良いよなと。コルデュアクスの話とか読んでみたいですよ。赤い艦で、金髪のインゼル司令はどっかの総帥みたいで隠れファンが居そうで、XORでは旗艦なのに、何故いつも墜落する運命にあるのかと。どんな呪いがかかってるんだと。インゼル司令はあの顔で「私もよくよく運のない男だ」とかぼやいてないのかと。……というのはまぁ半分冗談ですけれど。

 うーんただ下にもちょろっと書いたけどビジュアルということを考えると、既存のキャラが使えるに越したことはないなぁとも。そうだ! XORはコミック版があるからここはNOTベースできっちりガルズオルム側を補完するとかどうですか。割と需要がありそうな気がするんですけれど。今回の『忘却の女王』でやっとナーガが分かった! という向きもあるようですし。

 いずれにせよ、またくさかべさんのゼーガが読めたら良いなというのは、くさかべさんの文章が好きだからですよ(^-^)


 そういえばソノラマノベルス/朝日ノベルズ Monthly Hotline Vol.21を見てて、うわっ『妖精作戦』(笹本祐一 1984.07)からもうそんなに経ったのか! と。好きだったなぁ。■次元から★次元に飛ぶところとか今でも印象に残ってるんですけど。
 で、このメルマガの末尾には

読者の皆さんからのご意見・ご感想・ご質問などをお待ちしています!
メールアドレスはこちら↓
novels@asahi.com

 とあるので、メルマガに関してだけではなく『忘却の女王』の感想もこちらにお出ししても良いのかなと。
 場末でちまちま書いてるより、編集部に直接届く意見というのが一番強いものがあるよなぁという実感もありますし。やはり第2弾出していただきたいですしね。てことで後で文面練ろう。


 枕が長かったんですが、以下ようやくネタバレ含む感想です。


●読みたかったものが読める幸せ
 アニメの本放送終盤を一緒に見ていた兄貴が「アニメがオケアノスでXORがドヴァールカーなら、他の母艦の話も作れるよね」と言っていたのに自分も頷いたものですが、それをそのまんま見せていただけたなぁというのが嬉しかったものです。

 いや勿論、ゼーガなんだからキョウの話が読みたいという向きもあるだろうとは思いますし、それは自分でも読みたいものではあるのですけれど。それこそカノウ先輩の話とか ←実現するまで言いますよ。

 やはりアニメで描かれたものは氷山の一角だという想いが強かったので、その意味で世界を広げてくれたのは嬉しいなぁと。無限に広がる大風呂敷というのはSFの王道ですよ! これがまんざら比喩じゃないのには参りましたけど(^^;


 ただ、自分としてはゼーガの世界観的に直球だと思ったんですけれど、それは多分に世界観のベースに「現実と虚構の狭間の物語」としての設定を置いているからなのかとも。
 ゼーガのアニメ本編の世界観を「終わらない夏の物語」だと思っている人が居たとしたら、この『忘却の女王』はそうしたゼーガの世界観からはかけ離れているものと思われるのかも知れないなぁと。

 幻の中での痛みを通して語られる物語というゼーガの物語のベースは同じだとしても、キョウは他者との関わりの中で現実世界への脱出へと生きる方向を見出してゆくのに、クロウが見出す方向というのはかなり違う方向に見えてしまうし。というあたりでも、受け入れられるかどうかは変わってくるのかも知れません。自分としてはどうせならアニメ本編とは違うものが読みたい、と思っていたから良かったのかなとか。

 ともあれ、自分には直球で楽しめたので、読めて嬉しかったのです。


●ボーイ・ミーツ・ガールの陰と陽
 ボーイ・ミーツ・ガールといえばジュブナイルの王道。なのでクロウとレジーナの物語は自分には真っ直ぐに入れて良かったのです。二人とも可愛いよぅ(i_i)

 対談でトミノスキーな話が出てますけれど、富野作品で「出会った女の子がかなりヤバい娘でした」というのは、実は傍流なんだよなぁという印象が。Ζガンダムのフォウにしてもキングゲイナーのシンシアにしても物語全体から見ればサブヒロインだよなと。
 レジーナの「外見は主人公より少し年上に見えるのに中身は無垢な幼さを覗かせる」というのは、ΖのTV版でのロザミィだなぁと。Ζ#41での「まっすぐ来れちゃった」とかまんまだろーとか(^^; あぁぁもうそういう意味では80年代富野育ちには直球でございました。

 ……と見てくると、ゼーガのアニメ本編は「ボーイ・ミーツ・ガールは過去の余談で実は傍流」とされているのが富野文法に近かったのかと。いやここはひっくり返して、シズノ視点での「ガール・ミーツ・ボーイ」の物語に涙するための本編だったという感じではあるんですが。

 寧ろそういうフレーバーのボーイ・ミーツ・ガールを主流に据えたのが、富野学校出身の高松信司によるガンダムXでのガロードとティファの物語だったなと。特別な力を持つティファは追われまくりのさらわれまくりなんだけど、ガロードが命がけで追っ掛けて取り返してという様にクルーも皆巻き込まれていく物語が良い。まぁこれは、フリーデン艦長のジャミルがそもそも最初にティファを(守るために)さらってきたのでした、というのも大きいんだけれど。
 ガロードも序盤で大失敗をしてフリーデンのクルーから疎外されるんだけれど、ジャミルは戦中派で丈夫だったから一命を取りとめたし、ガロードも船出からちゃんと戻ってきたからクルーが受け入れてくれて良かったんだよねと。

 ところがクロウはいきなり死者を出した上に(彼だけの責任ではないのだけれど)、貴重なガンナーだからとサルベージしてみれば、セレブラム視点ではとってもヤバい娘を連れてましたよとその後は疫病神扱いされてしまうのが辛すぎる。
 クロウ自身は良い子なんで、GXのガロード同様に、レジーナをまず大事にしつつもルヴェンゾリのクルーのことも大切にしようと必死に頑張るのに、寧ろクロウに親身になってくれるのは(XORとアニメで既におなじみの)ドヴァールカー組だという。
 この構成だと新キャラのルヴェンゾリ組には感情移入し辛くて個々の印象が薄くなってしまうのは止む無しというのはちょっと残念なところ。それがクロウとレジーナを浮き彫りにするためのものだというのは分かるんですけどね。
 だからこそルヴェンゾリ組の話はまた別の物語で読んでみたいなぁと思うのです。特にテイレルさんとか。

 とか言いつつ、第5章でクロウがルヴェンゾリの艦内でバイアのことを思い出すあたりはやはり泣けるものでして。
 それは決して良いばかりの思い出とも言えないのに、というあたりの儚さとか喪失感に切なくなるというのはやっぱりゼーガです。
 胸が痛いんだけれどこれがなくては。
 途中の司令さんズがまたえらく酷くってうわーこれぞゼーガだよなーって。


 因みにボーイ・ミーツ・ガールでもう一つ思い出したのが、DTエイトロン#20。サブタイトルはそのまま「ボーイ ミーツ ガール」。放棄されたドームの地下に眠る少女シーナと出会ってしまった少年ドリーの物語。
 見たら胸がつまると分かっていたのに見てしまってうううううっとなってしまったんだけれど、最終回を知ってるから余計切ないんだよなぁこれ(i_i) 「他の誰でもない、僕が素敵な未来を」ってシーナを想うドリーの別れ際の台詞がとにかく泣かせるんだよ(T_T) ゼーガを見た後だと色々なところが気になるが、エイトロンはデータの妖精なんだから細かいところは気にするな!

 それでエイトロンとゼーガといったら#11「イリュージョン ダイビング」を忘れちゃいかんとこちらも見直して以下同文。ぶっ壊れてゆくサーバー内ってこうだよね! とばかりに『忘却の女王』のプロローグを思わせる映像がそのまんまデータ化されてますよ(i_i) しかしスキャン前の「それじゃ皆さん死んでくださーい」ってドリーの台詞には困ったもんだ(^x^;

#なんかこう書くとエイトロンの主人公がドリーに見えるけど本当はシュウです。


●クロウとレジーナ
 本文読む前は色々書いてましたが、読んでみたらばクロウの字はそう来ましたかと。そしたらすぐ身近にゲイルさんが居たので大笑いして、更にスーパーガルダが黒鳥状態だったので、このあたりは熱くて泣ける展開なのに腹がよじれそうでしたが(^^; ←遊戯王5D'sから離れましょう

 まぁでもなんかもうクロウはほんと可愛い子だなーという印象で。ちびすけだし。──そんなら髪を立てて見た目の身長高く見せるとでかい男になれるかも知れないぜってブラックバード宅配便のクロウ様が言ってたぜ! ←言ってないよ!

 ただクロウ視点で話が進む以上、クロウの外見ってあまり重要な要素ではないのかという印象になったのがちょいと残念。レジーナの描写はちゃんとあるし表紙に絵があるから良いんだけれど、それ以外のルヴェンゾリ組はざっとした描写はあるものの具体的に個々の顔が浮かびにくいかなというのも、余計にドヴァールカー組の印象の方が濃く感じてしまうのに繋がるのかも。せめて主人公のクロウくらいはキャラ絵が欲しかったところです。

 それでクロウの声はもう可愛い系で。高めの柔らかい声で。何せ一人称がひらがなの「ぼく」ですから。浅沼さんに拘るなら4400(海外ドラマ)のトッドとDC2の義之の間くらいかな。
 上でボーイ・ミーツ・ガールのことを書いてたら、案外ゲイナー君の声とかいいかもなーとか。ならゲイルさんはゲイナーさんかよ! ……あらいいかも。

 レジーナはそういう訳なんで、個人的にはかないみかさんのお声で。GXのティファよりは喋るんだけど、女王様モードなんて恐いくらいに気持ち良さそうです。


 で、先の項が脱線しすぎたんですが、ボーイ・ミーツ・ガールの物語の終わり方としては綺麗だったんで自分はこれが好きだなぁと。悲恋モノはこうでなくっちゃね! それに二人の物語は終わった訳ではないんだし。というのもちゃんとゼーガ文法ですよ。

 だからクロウには最終決戦(と言われている作戦)をきっちり生き延びてもらわないとねと。いやアニメ本編の北極で撃墜されてるカラドリウスも居たんだけど、それがクロウ機とは思っていないからな! いや基本的にアニメと小説版はまぜるな危険だろ!

 という訳で、クロウの出会ったイェルさんはちゃんとアフターサービスしてくれますようにと祈って止みませんですよ(i_i) でもやっぱアニメと小説版は(以下略


●二つの解釈、いくつもの世界。
 そんな風にクロウが流されてゆく過酷な運命という大波に一緒に翻弄されていたらば、第5章でぽかーんとなる訳ですよ。

 そして5秒後に大笑い。

 積層化QLの話で多世界解釈の伏線は張ってあったけれど、それが直球で来るのかと! アニメとXORの整合性はどうしたらつくのかと、ない頭を絞ってた自分からすれば、こんな解決法があるなんてと目から鱗でした。

 世界観の枠はかっちり守りつつのこの自由さが本当に気持ち良かったですよ。
 あれルヴェンゾリってオストロバ司令じゃなかったっけ? あーもうさすがに忘れてるなぁとか最初は思って、でも読んでるうちにそんなのすっかり忘れてたら、第5章でオストロバのルヴェンゾリですもん。もう笑うしかないじゃないですか。いやクロウはそれどころじゃないんですが。

 アニメ本編はどちらかというと#16でのクラシゲの板書にもあったようにコペンハーゲン解釈で見る方が分かりやすいと思うんですけれど、いやそれとて一つの見方でしかないからなぁとは思っていたらまさかの展開で。

 途中まではXORとはパラレルみたいだけど、アニメ直列とも言い切れないしなぁと思っていたら、こう来ましたか! と。これならXORとアニメでメイヴェルが別バージョンだという説明がつきますよ。XORでは旗艦がコルデュアクスだったけど、小説版ではオケアノスが旗艦でシマが艦隊司令で良いんですよと。でもアニメ本編でははっきりしませんけどねと。


 という訳で最後まで読んだときにふと思ったのが、ちょっとグレッグ・イーガンの『ディアスポラ』と『ひとりっ子』を読み直してくるわ! という(^x^; その前にこの『忘却の女王』の2周目が先なのでまだイーガンは読み直せてはいないんですが。それでもあのヤチマとパオロのオチが思い出されてならなかったのでございますよ。えぐえぐ。

 ←グレッグ・イーガン3本勝負 ゼーガスキー視点での感想。


 なんかえらく長くなったのでつづきはまた改めまして。
 本日でリセット祭りまであと56日です。


 ←初見感想ネタバレなし余談ネタバレなし茶話


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カミラボ:ゼーガペイン 各話感想リスト

4022739177ゼーガペイン 忘却の女王
日下部 匡俊 幡池 裕行
朝日新聞出版 2009-06-19

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4840237018ゼーガペインXOR (電撃コミックス)
矢立 肇
メディアワークス 2006-12-16

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コメント

別記事へのコメントでしたが管理者権限でこちらに移動させていただきました。 (しののめ)

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 読んだ限りでは、エヴェレットの多世界解釈を使ったのはちっとミスかなとも思いました。量子論だけでパラレルワールドを構築するには多世界解釈ってのは便利ですが。ゼーガが使っているコペンハーゲン解釈と同時には成り立たず、また、どちらかが真実であればどちらかは偽りという作中でも印象深いセリフと衝突するという厄介な解釈です。
 つまり、多世界解釈ではこっちも真実、こっちも真実ということが起きるからです。それも然り、それも然りという仏教的な世界観とは矛盾しないんですがね。要は真偽を精確に峻別する西洋型の二元論と仏教的な論理を同じ釜の中に放り込みかねないんで。まあ、多世界解釈を使わなくてもパラレルワールドは構築できるんですが、量子論とは別のレイヤーの議論になるので恐らく、混乱を避けるために避けたと考えています。ただ、かなりの危険球になっちゃってます。わかっちゃいると思うんだが。
 まあ、エヴェレットの多世界解釈とコペンハーゲン解釈は混ぜるな危険なんで、みさきクロニクルとかでは混ざるようにとられかねない表現は避けてますね。

投稿: G.O.R.N | 2009.06.28 22:49

投稿: G.O.R.N | 2009.07.07 00:05

>G.O.R.Nさん どもありがとうございます。

 先にコメントいただきました記事はネタバレなしでしたので、そちらにネタバレありのコメントというのはどうかと思い、ネタバレあり感想がようやく書けましたので、こちらへのコメントとさせていただきました。

 自分としては上の記事本文にも書いたとおり、笑ってしまえたのでOKです。アニメはコペンハーゲン解釈でよいと自分でも読んでいましたけれど、小説版はまた別ですよと。そもそも物語が違うのですし。

 真にまぜるな危険なのは、アニメ本編と小説版ということで;^)

投稿: しののめ | 2009.07.07 00:24

この記事へのコメントは終了しました。

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