2007.09.11

9.11──あれから6年

 今日が誕生日の友人にメールを送ろうとして、日付を改めて見る。さすがに6年も経つとあの日の記憶も薄らぐのか、その日が来ることを告げる事前の報道は少なくなってきているように思う。毎年の儀式のように、アフガニスタンからの手紙を読み直す。このメールを読んだときの震えが甦る。

asahi.com:9・11テロから6年 NYの追悼式で犠牲者に黙祷 - 国際

 あの9月11日も、同じ火曜日だった。国際テロ組織アルカイダのメンバーらがハイジャック機で米国中枢部を攻撃した米同時多発テロから、11日で6年がたった。標的となったニューヨークの世界貿易センタービル跡地近くで催された追悼式では、北棟に航空機が突入した午前8時46分(日本時間午後9時46分)、犠牲者への黙祷(もくとう)が始まった。

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2007.06.23

沖縄慰霊の日

 62回目の慰霊の日。今年は、高校の日本史の教科書での、集団自決に日本軍の強制があったとする記述の削除について揺れる中での、祈りの夏の始まり。

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2007.05.11

ネイビーファイル#172「戦場の天使たち」

 犯罪捜査官ネイビーファイル(JAG)#172「戦場の天使たち」(Each of Us Angels)。再放送日時はこちら。

 ずっとJAG見てきてて、初めて本気で涙がこぼれた。
 最近は1シーズンに1本あるcostume play(時代劇)。今回は1945年2月20日、太平洋戦争の硫黄島の沖合が舞台。本国での初放映は2003年2月4日。

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2006.12.08

Pearl Harbor Day

 65年前、真珠湾攻撃の日。その故事になぞらえるが如くに米国の国内世論を沸騰させて始まった「テロとの戦争」の行き着いた先は、紛れもなくイラクの内戦。その文言が公的な場で飛び交い、泥沼化したその状態から脱却すべく、米軍の撤退という議論も出てきた今日この頃。人が幸せに生きるとはどういうことか、考えれば答えは自ずと出るのだろうけれども。そう簡単に答えなんて出ないものだから難しいのであって。

 犯罪捜査官ネイビーファイル(JAG)第7シーズンを見ていると、9.11以降に入って一気に戦時下の物語という色が濃くなる。それまでにも、主人公ハーモンの父がベトナムで行方不明になっていることもあって、ベトナム戦争絡みの話や、更には朝鮮戦争時代の話まで出てきたりもする。彼の国がこうも外地で愚かしい戦争を繰り返す様子は、どうも日露戦争の後の日本が、その勝利の夢心地と実際の厳しい現実とのギャップから現実逃避するかのように、分不相応な海外侵攻に自らを駆り立てていった様子を思い起こさせる。いや当時の日本と今の米国とでは国力も世界情勢もまるで違うというのは百も承知なのだけれど、第二次世界大戦での連合国の勝利のような夢心地を、彼の国はその後の戦争では味わえていないのだから。彼の国は唯一の超大国としてあるが故に、逆に世界というものが見えなくなったのだろうか。

 65年前に愚かな戦端を開いた我が国は、その過ちを二度と繰り返さないとして、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とした(憲法第九条)。今日はこのことを改めて考えるべき日の一つ。そう、奇しくも今日が命日であるジョン・レノンの「Imagine」でも聴きながら。

 以下備忘録。

Super! drama TV : 真珠湾(パール)運命を変えた四日間 前後編連続放送:12/10(日)15:00
Super! drama TV : 「硫黄島からの手紙」スペシャル ~栗林忠道中将を知っていますか?~ 12/9(土)14:00
THE HISTORY CHANNEL JAPAN:鎮魂・硫黄島12月9日(土)18:30
 映画「硫黄島からの手紙」関連番組が続くんだけど、やはり「父親たちの星条旗」の方も合わせて見ないとな。あちら視点はJAGで大分慣れてるつもりだけれども。
 しかしあの「パールハーバー」なんて映画が大ヒットした謎の国なんだよなぁ日本というのは。←そういやJAGの確か第7シーズンでこの映画のタイトルが出て来てたな。

NHKその時 歴史が動いた シリーズ真珠湾への道 <後編> ~山本五十六 運命の作戦決行~ 12/13 (水) 22:00 アンコールなので以前見てるけど。

 あと今朝日新聞夕刊で連載してる「カミカゼ」が興味深い。高校で3年間お世話になった英語の先生が特攻隊出身で、出撃前に(最後の)帰省をしてたら終戦になった。あと1週間戦争が続いていたら死んでいた、という話を聞かせてくださったことがある。決して授業に関係のない話などしない先生だったのだけれど、教科書が「アンネの日記」に入る時のことだった。あの日のことは今も忘れられない。

 関連過去記事
Pearl Harbor & Imagine
「その時 歴史が動いた」日米開戦を回避せよ
Nスペ「硫黄島 玉砕戦」

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2006.09.16

9.11──あれから5年

 9.11当日に書きそびれてしまったが、やはりこの日には特別の感慨がある。だが当の米国でさえ、あれが何年の事件なのか答えられない人も多くなったのだと言う。大統領の支持率は当時の半分以下。空虚が全てを物語る跡地の再開発も本格化するといい、急ぐ現代にあって風化も加速する。それでも、彼の地の争いは止むことはなく、アフガニスタンとイラクから米軍は撤退せず、イラクでの航空自衛隊の派遣は続いている。今年もまたアフガニスタンからの手紙を読み返す。これが完全に過去のものだと言えるようになるのは、何時の日なのだろう。

テロから5年、米大統領がテレビ演説(TBS News-i:動画あり)

「テロの危険はまだ去っていない。圧倒的な愛国心で自らを支持した5年前を思い出して欲しい」と訴えたブッシュ大統領。しかし、一度離れた国民の気持ちを取り戻すのは容易なことではありません。

 今こそアメリカを安全にする時。そう掲げられた言葉に、今のアメリカは安全でないのかという反論が浮かぶ。世界に目を見渡せば、この5年間で、世界は安全とは違う方向へ向いてしまったのではないか。

 Super! drama TVで丁度今再放送中の犯罪捜査官ネイビーファイル7(JAG)が、丁度9.11前後の時期で、9.11以前のエピソードには日付が入っている。ハーモンの墜落事故、それに伴うマックとブランビーの破局という導入で、マックが傷心を抱えて出かけた海外出張から不穏な空気は漂ってくるが(#138「緊急脱出」(GUILT)など後味が悪かった)、直接は画面に描かれなかった9.11を境に空気はピンと張り詰める。言ってしまえば非常にきな臭くなり、「今は戦争中」という言葉が繰り返され、ガリンデスは志願して最前線に向かう。バドも海上勤務となり、後半の舞台にアフガニスタンが多くなる。この空気があの2001年当時のアメリカに通じている。圧倒的な愛国心、か。#158(シーズン7最終話)でのバドが気になって仕方ない。

 で、Super! drama TVでサード・ウォッチとザ・ホワイトハウスの9.11スペシャルを9.11当日にやっていたんだが、この日の分は見られなかったので再放送で見ようかと。

Super! drama TV : 9.11ドラマ・スペシャル  9/20(水)1500/9/29(金)1500

『9.11ドラマ・スペシャル』 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロから5年。Super! drama TVではテロ直後に制作・放送されたエピソードを特集放送します。
<放送エピソード>
【サード・ウォッチ3】「彼ら自身の言葉で」THIRD WATCH: In Their Own Words
【サード・ウォッチ3】第45話「それぞれの9.10」THIRD WATCH: September Tenth
【ザ・ホワイトハウス3】「イサクとイシュマエル」THE WEST WING: Issac And Ishmael

9.11―あれから2年
9.11―あれから3年
9.11―あれから3年・2
9.11―あれから4年。

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2006.08.08

Nスペ「硫黄島 玉砕戦」

 8/7放送のNHKスペシャル、硫黄島 玉砕戦 ~生還者 61年目の証言~。再放送は8/24(木)2600~2649。

 本気で涙が溢れてきた。未見の方は再放送で是非。

 「玉砕」というのはその絶望的な状況を美化する言葉にすぎない。地獄と言う言葉すら綺麗にまとめてしまうものにしかならないと思える、言葉に尽くせぬ惨状。自分達だけが生き残ってしまったと、61年目に口を開いてくれた硫黄島の元兵士達の言葉は、心を深くえぐり切り刻む。

 飲料水もない硫黄島は、全島に手掘りの地下壕が張り巡らされ要塞化された。2万の日本兵が、南方から攻め来る米軍をここで迎え撃ち、本土への進攻を阻止しようというのである。だが圧倒的な米軍の前に日本軍は追い詰められ、援軍や補給も絶たれて見捨てられ、無謀でしかない持久戦が続く。投降を呼びかける米軍、それに応じて壕を出た兵士を背中から撃つ上官。食糧不足で口減らしにと、竹やりと手榴弾だけを持たされて壕を出される者も居たが、「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓に縛られ、飢えと怪我とまともな武装もない中で、投降も自決もできない壕の中の日本兵達。理性を失っていくのは日本兵だけではない。米軍もまた、投降の説得を諦め、壕の入口を爆破して中の日本兵を生き埋めにし、ガソリンを浮かべた海水を壕に流し込み火を放つ。2万人を数えたはずの日本兵が、生きて捕虜になったのは数十人。今もまだ、1万を遥かに越える数の遺骨が収集されずに残っているという。米軍の死傷者も多く、硫黄島の激戦の後、米軍は空軍力を増強し、日本本土の焦土作戦を進めていく。

 この一方的に惨い殺戮を戦争というのか。米兵は、責任は投降を潔しとしない教育をした日本の上層部にあると言う。米兵も日本兵も、思い返せばおぞましい限りだが、当時は特に何も感じなかったと言う。人間ではなく畜生だったとも。それは狂気としか思えない、だが、61年を経て口を開いてくれた人達の口振りは、時に厳しく険しいが総じて淡々としている。最近のことなどすぐに忘れるようになった、でもあの戦争のことは忘れないと。多感な時期にこの世の地獄を見てしまった人の心の傷は決して癒されることはないのだろう。口にするのも恐ろしいことを語ってくれて、取材クルーが去るのにずっと手を振って見送る人達の顔はあんなにも穏やかで、優しいのだ。そんな人達から人間性を奪い去ったものは何だというのか。

 ──ただ、この硫黄島の持久戦が、日本本土への爆撃を遅らせた意味を持つという意見もある(硫黄島探訪)。今回のNスペで「彼らの死に意味はあったのか」と涙ながらに話してくれた人がいたが、その意味では、あるとも言えるのだろう。日本兵としての彼らは、ただ殺されたのではないのだと。それにしても……


 聊かの苦言。Nスペ「東京大空襲 60年目の被災地図」でも思ったのだけれど、こういうことを語ってくれる人に対してよくもそういうことを言えるな、と思える取材クルーの言葉が気になる。自らの傷を晒して取材に応じてくれる人をもっと大切にして欲しい。


 その他、今年のNHKの戦争特集。

Nスペ:満蒙開拓団はこうして送られた~眠っていた関東軍将校の資料~ 8/11(金)2200~2249(再放送: 8/24(木)2510~2559)
Nスペ:日中戦争~なぜ戦争は拡大したのか~(仮) 8/13(日)2100~2214
Nスペ:日中は歴史にどう向きあえばいいのか(仮) 8/14(月)2200~2319
Nスペ:調査報告・劣化ウラン弾~米軍関係者の告発~ 8/6放送済み・再放送: 8/23(水)2510~2359

Nスペ「僕らは玉砕しなかった」 こちらは昨年のサイパン編。

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2006.08.07

61回目の原爆忌

 今年も広島には8月6日がやってきて、長崎には8月9日がやってくる。広島で「氏名不詳者多数」との名簿が初めて納められたという今年は、日米を絡めた報道が目に付くような感もある。被爆の苦しみは経験したものにしか分からない。しかしその痛みに思いを馳せることは出来る。そこに国籍も年齢も関係はなく。──そして、忌避すべきは核兵器に留まらない。

asahi.com:61回目の「原爆の日」- マイタウン広島
 今年の「こども代表」に選ばれたのは、日米の両国籍を持つ少女。

14歳の米映画監督ヒロシマを撮る(中国新聞)
 東京平和映画祭でも上映された「魔法のランプのジニー」を撮ったのはアメリカの少年。

asahi.com:なぜ原爆は2度落とされたのか 「二重被爆」国連で上映 - 社会
asahi.com :二重被爆が示すむごさ 広島と長崎(8/6付け朝日新聞社説)
 広島と長崎の双方で被爆した人達がいる。何故二度も、惨い地獄が作られたのか。

米の核実験博物館で異例の原爆展 (TBS News-i:動画あり)

 そもそもこの博物館は、核兵器がアメリカの発展と世界の平和にいかに貢献したかと、その開発の歴史が誇らしげに紹介されている場所です。
 また、アメリカでの原爆展をめぐっては、95年、スミソニアン航空宇宙博物館が開催を計画したものの、退役軍人らの反発で中止に追い込まれた経緯がありましたが、今回は問題もなく開催に至ったということです。
 「(核超大国のアメリカに)主導権を持って核廃絶へ行動を起こしてもらいたい。アメリカ市民の方々の良心に訴えたい」(長崎で被爆した 丸田和男さん)

 11年前にスミソニアンで出来なかった展示が、あの核実験博物館で出来るようになったということに、米国の良心を見る。この経緯には、粘り強い市民活動の成果だけでなく、今アメリカがやっている戦争に対して疑問を持つ米国市民がいることも関わっているのだろうか。自分達は本当に、正しいのだろうかと。

Nスペ「原爆投下・10秒の衝撃」と核実験博物館

NHKアーカイブス:平和アーカイブス 2006/08/06放送分

●NHK特集「爆撃機ローンサム・レディ号 ~広島原爆秘話~」1978/10/29放送
 呉を爆撃に来て撃墜された米軍のB-24の乗組員が捕虜として広島に送られ被爆して死亡したことから、乗組員とその遺族をアメリカに訪ねたもの。広島で被爆した米兵捕虜の話は他にもあるが、この番組では、取材に応じて初めて、肉親が味方の兵器である原爆で殺されたことを知ったという遺族も居たのだという。広大な国土に散らばる関係者を訪ねる長い旅に、もう一つのヒロシマを見たという取材クルーの言葉が印象的。肉親を奪われる悲しみは同じなのだ。選曲が意外な感じだなと思っていたら、音楽は三枝成彰氏。

●ドキュメンタリー「坂道の家」1973/08/17放送
 自分は失明しながらも、被爆者健康手帳を申請する人達の手伝いをする人が居る。自分が被爆したと証明してくれる人がいないとなると、時間刻みで克明に当時の状況を報告しなければならない。しかしあの混乱の中、そして被爆から28年も経って、記憶は定かではない。被爆者健康手帳の入手の困難さがつづられる。
 この番組から更に33年が過ぎて、広島地裁では原爆症認定の集団訴訟で全員が勝訴するも国は控訴の方針だという。

 8/9のNHK長崎の番組。

彼は生きた~小頭症被害者・47年の生涯~  8/9(水)2200~2245

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2006.06.23

沖縄慰霊の日

 61回目の慰霊の日。昨年事件の起きていたサマワからの自衛隊撤退は決まっても、その撤退の時期こそが緊張を強いられるものだという。そして米軍再編に揺れる沖縄に、今年も慰霊の日が訪れる。ただ節目の年であった昨年ほどの報道もなく、ひっそりと6/23が過ぎていく。それでも祈りの夏はこの日から始まることを、今年も忘れずに。

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2006.03.08

その時歴史が動いた「ゼロ戦・設計者が見た悲劇」

 NHK「その時 歴史が動いた」、3/8放送の第248回は「ゼロ戦・設計者が見た悲劇~マリアナ沖海戦への道~」。再放送は3/16(木)深夜。

 最近あまりちゃんと見てなかったこともあって、久しぶりにきつかった。一号ゼロ戦の抜本的な設計の見直しをしないまま、二号で「改良」と称してエンジン大型化と翼端切除って、素人目に見ても駄目じゃんそれって思うのに、その後は……もう言葉もない。エピローグ、神風特攻隊に使われたゼロ戦は2000機以上。そして制空権を奪われた日本は、空の王者に取って代わられたB-29による焦土作戦(と原爆投下)で一般市民への被害が拡大した。もうじき3月10日だからこういう話なんだろうけど、本気で胸が押しつぶされそうで、やりきれない。

 ゼロ戦の設計者が言うには、特攻に使われるのは嫌だった、同じ年配の人を一人ずつ殺すのだからと。そしてこのひとは、その思いを抱きながら今も生きている。優秀な兵器を持つのなら、それを制御するに足るだけの精神が必要との言葉。兵器以前の問題だろとも思うけど、ほんと当時の海軍上層部の見る目の無さが腹立たしい。何で専門家である設計者の意見をつぶしちゃうのよ。なにが大和魂だよ。精神論じゃ命がいくつあっても足りないんだよ戦争は。第二次世界大戦当時のドイツなどの飛行機の話とか読んでると、日本軍がいかに人の命を使い捨てにしてたかが分かって頭痛い(無線誘導装置を開発するよりパイロット使い捨ての方が安上がりだとか思ってるんだから……絶句)。でさ、こういう考え方って根絶された訳でもないんだよね。あかんまだマジで胸が苦しい。

 来週は今年最多の反響ということでアンコール「二宮金次郎 天保の大飢饉を救う」。その次もアンコールだけど「信長の巨大鉄船、戦国の海を制す」って、自分にとっては映像のツギハギっぷりが凄まじくてそればかり印象に残った怪作。うわーこれなら「星を継ぐ者」のエイジングの方がよほどいいじゃんとか思ったりして。4月からは水曜22時。

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2005.11.07

Nスペ「サイボーグ技術が人類を変える」

 11/5放送のNHKスペシャル「立花隆 最前線報告 サイボーグ技術が人類を変える」。思い通りに動く機械の腕、目、人工内耳……ときてロボマウス(どんなものかは実際の番組でどうぞ)や海馬チップに至るまでの様々な技術が出てきます。断片的にJNNとかで見たなぁというものはあっても、こうして順を追って並べてさらにその先に進まれると、脳って凄いなぁ、と感嘆するのと同時に、人間って恐いなぁとどんどん背筋が寒くなるというシロモノです。立花隆氏による関連サイトまで出来てて、BSやBS-Hiでのブローアップ版も作られるということで、未見の方は再放送で是非。再放送は11/7(月)深夜24:15~25:29。そういやOPの段階で「音楽:池辺晋一郎」と入るのも単発のNスペでは珍しい?

 以前のNスペ「疾走 ロボットカー」での無人ロボットカーレース(今年はついに1台完走したらしい)も興味深くも空恐ろしいものだったのだけれど、今回のはその斜め上を行くというのか。米国防省・国防高等研究事業局(DARPA)謹製のリアル強化人間("Enhanced Human" ……マジでこう書類に書いてあった)がお目見えするのもそう遠くない将来って感じで。「人間を機械にしようとする連中の言うことなんて当てになるもんか!」って冗談にもなりゃしない。

 ここ5年くらいで急速に発展した「神経工学」の分野で培われる技術をどう使うか、それは社会が決めること。というのが最後に出てくる倫理・法学系だったかの先生のお話でしたけど、そういうものを健全な方向にのみ使おうといえる程、今の人類の社会というものが成熟しているかというとかなり怪しい訳で。核が「使えない最終兵器」になってしまったからといって、脳に電極埋め込んで、命令には絶対服従して、快楽中枢だけをうまく刺激して恐怖なんて感じなくて、なんかあったって記憶すり替えて、手足がもげたって機械で付け替えれば再投入できるという、世界を滅ぼせる兵士を量産してまで、彼の国は何が欲しいんでしょうかね。その前にもっと考えられること、考えなくてはならないことが山ほどあるでしょうに。とりあえず温暖化がこれ以上進んだら本気で地球に人間住めなくなるんだから、同じ人間としての誇りがあるのなら、つまらん人殺しなんてやめて京都議定書をどうにかしてよ。

 ……というのは一方向への脱線にすぎなくて、紹介された技術は確かに感嘆に値するものばかりです。でもそれこそ、「悲しみの中枢」から吹き荒れる嵐を止めたら鬱でなくなるというのだったら、鬱というのはただの電気信号の乱れでしかないの? 心ってそんなものだったの? という立花氏の疑問も尤もな訳なんだけど、そっちへ行くとまた時間掛かるよなぁ。とま、やっぱこれ通常のNスペより長い時間を取ったものではあってもまだちょっと語り足りないんだろうなぁ。せめて前後編とか、いっそシリーズものでじっくりやるべきだったんじゃ。あ、それがBSのブローアップ版なのか。総合でもやってくれないかなぁ。

 →ロボット技術に米の触手
 →果てはサイコミュかPSか

NHKスペシャル公式

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2005.09.11

9.11―あれから4年。

 今年もまたアフガニスタンからの手紙を再読する。もうすっかり昔話になりつつあって、あれから4年も経つのかと思えば早いものだが、今年は日本は総選挙だし、アメリカはハリケーンの被害から日が浅かったり、イラクで戦死した兵士の母の声をきっかけに彼の地からの撤退を求めるかどうかで国民の意見が二分されている状況。でもそんな状況だからこそ、あの日が示すものを見つめなおすことも必要なのだろうけれど、人間そう器用に出来ているものではなく。せめて、今日がその日であることを書くことで、改めて祈りを捧げたい。

 昨年までに書いた記事を読み直して思うことは、人間はどこかで都合の悪い記憶を捨て去っていく器用さはあって、だから過ちが繰り返される一方で、そうしないと生きていけない部分もあるのだろうかと。過ちを繰り返さないように、記憶を繋げながら生きていくのってそれなりに強くないといけないから。その強さを持つには、まだまだ人間は弱い生き物なのだろうか。

 で、どうしても今年に関しては総選挙一色なんで仕方ないんだけれど、普段より投票率が高めだったのが印象的。雷雨が収まってきた頃、それでもまだ雨の中出かけたのに人多かったし。自分が初めて「選挙権」というものを意識したのは高校生の頃。リクルート事件の折、思うところはあってもまだ自分には選挙権はないんだという悔しさに、選挙権を得たら出来るだけ棄権はしないと誓ったもの。年齢の話をすると、18歳でちゃんと働いて納税してる人に選挙権がなく、20歳で親掛かりの大学生に選挙権があっても「学生だから興味ないし」とかいって行使しないなんていうのは理不尽だとも思ったり。選挙権を持つ人は選挙権を行使できない人の分までその一票を大事にするべきじゃないのかと。イラクに派遣されてる自衛隊員の皆さんだって、在外投票権ないんだから。色々言いたいことはあるだろうに。……って話はもうちょっと早く書けって。

9.11―あれから2年
9.11―あれから3年
9.11―あれから3年・2

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2005.08.26

NHK「アウシュビッツ」

 NHKというかBBCの「アウシュビッツ」は全話視聴。CGや再現ドラマの映像はよく出来ていたのだけど、だからこそ内容に眩暈がするというか吐き気がしそうというか……色々な意味で想像を越えていました。でも多分、自分の想像などでは全然届かないんだろうな。

 人はあそこまで狂ってしまえるのか、と自分では思うし、インタビュアーも良心を問うようなことを言うのだけれど、当時の状況を語る人は、インタビュアーの誘導になんて乗りはしない。あれは当然のことだったと。後悔はしていないと。アウシュビッツの責任者が戦後逮捕された際、彼が悔いたのは大量殺戮ではなく、家族のために時間を割けなかったこと。収容所に送られ、選別され引き裂かれ殺された家族に対する情などはそこにない。彼らは情を掛けるべき相手ではなかったから。そこまで思わせる時代の狂気が恐ろしい。

 収容所に送られたのは、ソ連軍捕虜、ポーランドの政治犯、ロマの人々、そしてユダヤ人。障害者の殺害に使われていた一酸化炭素による窒息死用のトラックを転用して、収容者の殺害が始まり、やがてチクロンBの青酸ガスが使われるようになる。アウシュビッツ=ビルケナウ収容所では、ピーク時には1日1万人が殺されたといい、収容所に送られた130万人のうち110万人が殺された。選別により働けないとされたユダヤ人の女性・子供・老人たちはガス室に送られて殺された後、死体は同じユダヤ人によって焼却炉で焼かれていった。アウシュビッツ以外にも各地に絶滅収容所が作られ、ホロコーストによるユダヤ人の犠牲者は約600万人にのぼるという。

 大量殺戮の対象の多くはユダヤ人であったけれど、彼らが何故迫害されるのかという事情は実にくだらない。連合国が収容所の解放に積極的でなかったのも、どこかに(自分達は手を汚そうとは思わないけれど)ユダヤ人に対する差別意識があったからだと思えるし。そして故郷に戻ってみると、自分の家には見知らぬ他人が住んでいて、財産も故郷も取り戻せない。そして今、彼らが約束の地として国家を建設したはずの土地で、再び住まいを追われた人がいる。ガザからのイスラエル軍撤退はそういう約束であったのだから、一方では当然のことではあるが、一方でどこかやりきれない気持ちもする。戦後60年は長いようでいて、実はまるで短いという感じがする。

■アウシュビッツ(BBC 2005)
1:大量虐殺への道
2:死の工場
3:収容所の番人たち
4:加速する殺戮/最終回:解放と復讐

【追記】

ホロコースト - Wikipedia
 ホロコーストに関する定説と否定論(修正主義)の両論併記。ただし「「ホロコースト」の疑問点」で最初に挙げられている「焼却処分したはずの数百万人分もの人間の灰が発見されていない」に関しては、その灰がポーランド政府の調査によりトレブリンカ絶滅収容所から出てきたという話もある。でもそれが殺人の証拠にはならない、というオチがついているのだけど、20フィート=6mもの灰の層というのはどう見ても異常。
 →Sasayama’s Weblog ≫ Blog Archive ≫ 「事実なのだろう。」発言と、「ホロコースト修正主義」

反ユダヤ主義 - Wikipedia
 実は今回のBBCの番組では、この「そもそも何故ユダヤ人が迫害されたのか」についての説明が抜け落ちている。尤も、それは欧米社会では説明の必要もないことなのかも。

壊れる前に…: アウシュビッツ
 こちらの記事では、BBCでは本来6回分のものだったことが紹介されています。日本語化してくれたのはありがたいけれど、なら完全版で流して欲しいですよNHK。でないと、製作者の伝えたいことが歪んでしまう可能性もあるのに。上記の迫害の事情とかも省略されていたのかも知れない。

JANJAN:文化・BBC放送を見て、NHK報道番組を考える
 食べ物を投げていたシーンはソ連軍捕虜相手だったような気がしますが。
 しかし冒頭にあるその映像、今何処に眠っているんだろう。

[教えて!goo] NHK「アウシュビッツ」で流れていたクラシック曲は?
 ヘンデルのサラバンド、だそうです。凄く耳に残る音楽だったので既存のクラシックだろうとは思いましたが。第5回のラスト付近ではモーツァルトのレクイエムというのがまんまな選曲でした。

BS世界のドキュメンタリー 「ドイツ・“アウシュビッツ裁判”」 ~自ら裁いた大量虐殺~
 BS-1で8/31(水)10:10~11:00に再放送。HR/ドイツ/2005年制作。NHKだと、過去のETV特集で「アウシュビッツ証言者はなぜ自殺したか」という番組があったらしく、こちらも見てみたくなりました。

 あとビルケナウといえばVガンを思い出すのがガンオタですが、ビルケナウ→アウシュビッツ→クラコフ(クラクフ)近郊ってことで、「THOUSAND NESTS」(交響組曲 機動戦士Vガンダム)ってクラコフ放送交響楽団による演奏だったんですよね。千住明もアウシュビッツに行ったとのコメントがライナーに掲載されていました。ポーランド録音ならワルシャワ交響楽団がメジャーなのに何でクラコフ? と思ったらそういう土地だったからなのか、と納得したものでした。前ローマ法王のヨハネ・パウロ2世の出身地でもあります。

 後はコメント欄にて。

B000BYYKEWアウシュビッツ DVD-BOX
NHKエンタープライズ 2006-01-27

by G-Tools

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2005.07.02

Nスペ「僕らは玉砕しなかった」

 7/2のNHKスペシャル「終戦60年企画 僕らは玉砕しなかった ~少年少女たちのサイパン戦~」、再放送は7/4(月)24:15~25:07。なお翌日7/5(火)の同じ時間は、先の「沖縄 よみがえる戦場 ~読谷村民2500人が語る地上戦~」の再放送。終戦60年企画続きですが、どちらも未見の方は是非。

 その沖縄も壮絶なものだったが、沖縄に9ヶ月先んじて、昭和19年6月15日の米軍上陸により民間人を巻き込んだ地上戦が繰り広げられたサイパンもまた凄惨の一言。今は日本の沖縄に比べると、サイパンについてはあまり見聞きすることがなく、61年目の今年は天皇皇后両陛下の慰霊の旅もあり、こうした特集も組まれたのはありがたいもの。サイパン一般にはリゾート地として知られているのだろうが、やはりバンザイ突撃とかバンザイ・クリフといった玉砕の地としての印象が自分には強い。改めて映像で見るその断崖絶壁は、そこに居るわけでもないのに足がすくむ感覚を覚える。そして、崖から身を投げる女性の映像に息を呑む。サイパンは米軍占領後、日本本土爆撃のB-29の基地となり、隣のテニアン島からは原爆を搭載したエノラ・ゲイとボックス・カーが発進している。悲劇の連鎖の端緒となった島で何があったのか。

 第一次世界大戦でドイツ領だったサイパンは1914年日本に占領され委任統治領となる。気候を生かしたサトウキビ栽培がはじまり、サトウキビの生産地であった沖縄をはじめ日本全国から砂糖の島への移民が相次ぐ。7つの国民学校、男子のための実業学校、そして高等女学校が作られるなど、サイパンで生まれ育つ子供達が増えていった。そして太平洋戦争がはじまり、サイパンは米軍と日本軍との決戦の地となる。

 「生きて虜囚の辱めを受けず」との教えは軍人だけでなく子供達に至るまで日本人全てに叩き込まれた言葉だ。そして、これが「米軍に捕まれば女は強姦されそして皆殺される」といったデマとなり、恐怖を伴って浸透していく。上陸した米軍に追われた人々は死を選ぶ。自決のための手榴弾が配られ、隣近所で爆音が響き、人体の一部が飛び散ってくる。その中、手榴弾が不発だったために生き長らえた人も居る。生き延びてくれたからこそ語ってくれるその言葉の重さ。

 手榴弾で6人が亡くなったが母と足に怪我をした娘だけが生き延びた。母は着物の帯で互いの首をしめて死のうとするが娘は抵抗をする。怪我のため動けないまま、目の前の遺体は朽ちていく。蛆がわき、ドラム缶のように膨らんだ体はやがてとけていく。いつしか母も息を引き取り、娘は手榴弾自決から2ヵ月後米軍に発見された。生と死とは紙一重だと彼女は語る。

 日本軍を案内していた少年は、父と別れる折にウチナーグチで語られた言葉を思い出し、軍人から離れて逃走する。お前は長男だ、兵隊でも軍属でもない。帰って来いと。「(当時の人間にすれば)恥ずかしい」と何度も語るが、あれから61年経ってもそう口にしなくてはならないということ自体があの時代の狂気を伝えている。

 7/7のバンザイ突撃に参加した少年は、後方に居たために機銃掃射を逃れ生き延びた。あの時の気持ちは想像もつかない、生き延びたいという一心だったろうと。サイパンでは米兵も多くが死に、今も戦友の遺骨収集を続ける元海兵隊員が居る。民間人は殺したくないと思いながら、反撃を恐れて、降伏を呼びかけても人が出てこない洞窟には手榴弾を投げたという。だが、5人家族の先陣を切り、「Give me water!」と口にして米軍の捕虜となり生き延びた少年も居た。そして、4ヵ月もの間、壕に隠れていた一家は、壕の入口を銃撃されながらも、せめて外の空気を吸って死にたいと外に出る。「天皇陛下万歳」と叫んで静かに目を閉じて手を合わせる。しかし彼らは殺されなかった。米軍から渡された水をがぶ飲みしたという。

 生き延びたサイパンの民間人は1万人以上、その半数は20歳未満の少年少女たち。名簿に「Japan」「Okinawa」と分けて書かれているのは、沖縄占領後の資料だからだろうか。しかし日本では民間人も玉砕したと報道され、それが勇ましいことだと美化された。サイパンで捕虜となっていた少女は戦後沖縄に戻り、兄の死を知る。サイパンで家族は皆玉砕した、その仇を討つといって沖縄戦で死んだのだと。自分はこうして生きているというのに。彼女は日本という国に対する怒りをあらわにする。何故真実を報道してくれなかったのかと。

 そして61年前の映像に残る、崖から身を投げた女性。あれは自分の母ではないかという当時の少年が居た。女性が身を投げる前に何かが投げられているのだが、それは前の晩に母が窒息死させた妹だと。ただ撮影したカメラマンの証言と、自分と妹以外の兄弟は全て手榴弾自決で死んでいたという男性の話には食い違いがあり、その女性が本当に彼の母なのかは分からない。でも彼は、あの女性が母だと信じている。家族を全てサイパンで失った彼にとって、あの映像は自分達がサイパンで生きた証なのだ。

 サイパンの民間人に死を選ばせた「米軍に捕まれば~」というデマの出元というのが、満州などからサイパンへ派遣された日本兵なのだという。「あちらで同じことがあったというでしょ、だから米軍も同じだと」――つまり何か、自分達日本軍の不始末というか恥ずべき行為を、ジュネーブ条約を遵守していた米軍になすりつけたとでも? 呆れてものも言えない。日中戦争で日本人側がそうした被害をまるで受けなかったということもないだろうし、それこそ今も日本で問題を起こしている米軍が全て紳士だと言うつもりもない。それにしてもサイパンや沖縄であれほど民間人に死を選ばせた狂気の元がこんな馬鹿馬鹿しい話だったとは。とはいえ、日本兵が全てそういう輩だったと言う気もない。誠心誠意、愛すべきひとびとのために国を守ろうとした人が多かったのだと思う。そもそもあんな馬鹿げた戦争に突入するしかなかった当時の日本が悪いんじゃないか。

 バンザイ・クリフを洗う波は今は深い青が美しい。しかしあの日、その波打ち際は無数の死体で埋まっていたという。その上に飛び込んだからこそ生き延びた女性も居る。口にするもおぞましいその光景を今語ってくれた人々に感謝したい。

天皇、皇后両陛下:バンザイクリフなどで黙礼、平和へ祈り(MSN-Mainichi INTERACTIVE)
両陛下、悲劇の地で供花と黙礼 サイパン慰霊(asahi.com)
サイパン慰霊最後の全国大会(asahi.com : マイタウン沖縄)
記憶 戦後60年 新聞記者が受け継ぐ戦争(東京新聞)

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2005.06.23

沖縄慰霊の日

 60回目の慰霊の日。昨年のような事件があったという訳でもない……と書いていたのに、自衛隊が派遣されているサマワで一件起きたらしいが、それでも彼の地にはまたこの日がやってきた。節目の年とあり、19日に硫黄島戦没者追悼式が行われたばかりだが、やはり祈りの夏はこの日から始まるように思える。

 60年といえば、終戦の年に生まれた人が還暦を迎える年だ。あの戦争を覚えている人は少なくなり、戦争を知らない世代が増えていく。先日読んだ新聞記事では、広島でさえ、原爆を投下された日を正しく答えられない子供が増えているのだという。日本本土を守るための捨石とされた沖縄で、組織戦が終わったとされるこの日は、それ以上に知られていないのではないだろうか。そして、この日以後も、8/15の終戦の日を過ぎても沖縄では9/7まで地上戦が続き、60年経った今もなお米軍基地が存在し続けることで、ある意味戦争が終わらないままでいるということも。記憶にまだ新しい米軍ヘリ墜落現場を、小泉首相は訪れたのだろうか。

 本日付の朝日新聞朝刊での沖縄の特集記事では、戦争を語り継ぐ人が居る一方で、口にできないままの人が居ることが書かれている。口にするには余りにも過酷な体験をされたのだろう。であればこそ、語ってくれる人々から目をそらす訳にはいかないのだ。そういう人々の話を退屈だ、と書ける人の気持ちが正直理解できないのだけれど、語れる言葉を持つ人は語ることを止めないで欲しい。

 また、沖縄で傷ついたのは攻め込んだ米軍の兵士も同様だとの指摘もある。確かに戦争というのはどちらが悪いと決められるものではない。とはいえ、先頃の戦勝国だけが云々とかいう政治家の発言はさすがにどうなのよとも思うのだけれど。靖国問題に関しては、6/22付けでの堺屋太一氏とか、6/23付けでの城山三郎氏の意見が自分には分かりやすかったのだけれど、小泉首相には公人としての行動の意味というものをもっと考えて欲しいと思う。

 録画しておいた、6/18のNHKスペシャル「沖縄 よみがえる戦場 ~読谷村民2500人が語る地上戦~」を見る。14年掛けられてまとめられた読谷村村史の記録。米軍上陸の翌日に集団自決が行われたチビチリガマで、本島北部やんばるの密林での逃避行で、そして米軍捕虜となっていた住民を日本兵が襲撃した浜辺で何が起こったのか。重い口を開いてくれた人々の証言が綴られる。
 米軍に殺されるくらいなら母さんの手で殺してという娘、次々に死んでいく人々を羨ましいと思う若き母。戦時下の教育による狂気が島を支配していた。しかしその母は外で死のうと煙の充満するガマを出て、生き長らえることになる。だが、はぐれた息子は死に、その後その存在すら隠して生きてきた。当時の彼女の年齢の母となった孫が話を聞いて「おばあ、生きてて良かったよね」と言うのに笑顔を見せる。60年経って豊かになった世界を見せてあげたいとも。そうまで言える人の強さ。
 スパイ疑惑を掛けられ、調査もなく突然「友軍」に襲われた住民。惨殺された父と、それを見て精神を病み死んだ母の代わりに妹を育てた兄。妹が成人して初めてその時のことを話し、ほどなく自身も精神を病み、40年を過ぎた今も入院生活を送る。同じ現場に居た女性が彼女のことを覚えていた。60年経っての再会に、二人は沖縄の言葉で話し出す。胸のうちにあった言葉を出せた彼女は、あの浜辺を訪れ、父に呼びかける。そこには、4歳の少女が居た。

 生き延びた人々にとって、戦争は過去のものであり、今に続く傷なのだ。ほんの、昨日か一昨日のことだと。60年という月日は長いようでいても、傷を癒せるものでもないのだ。なのに、あの南の島の美しい空と海に囲まれて、笑う人々が居る。6/22に見ていた、課外授業 ようこそ先輩「世界に広がれ!笑顔の力」での、戦争の最中の人々ほど戦争を厭い、そしてそれでも笑顔で生きていこうとするのだという話を思い出す。

 朝日新聞朝刊連載の「伝言 沖縄から」6/19付け、集団死(集団「自決」は軍人の行為としてこの記事ではこう書かれた)で家族を手に掛けた人の話の最後にはこうある。

渡嘉敷村が93年に建てた記念碑に「祖国の勝利を信じ、笑って死のうと悲壮な決意をした」とあった。「事実と全く違う。誰が笑って死ぬものですか」

 笑うのは生きるためだ。生きようとする力のためだ。自然に笑える日々は平和であってこそのものだ。その幸せを思えば、今は亡き人々のために祈らないではいられない。

NHKスペシャル公式
その時歴史が動いた「さとうきび畑の村の戦争」

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2005.06.05

Nスペ「一瞬の戦後史」

 6/5のNHKスペシャル「終戦60年企画 一瞬の戦後史 ~スチール写真が記録した世界の60年~」。面白かった! と言ってしまうのは内容に関して不謹慎かも知れないけれど面白かった。「映像の世紀」スチール写真版60年→60分一本勝負って感じ。ピアノ主体の音楽が、お約束なんだろうけどまた良かったし。再放送は6/7(火)24:15~25:14の予定。

 内容は先に書いた通りなんで後は見ていただくしかないんだが、ただこの番組で取り上げられたものは60年の戦後史――しかもそれは日本視点での「戦後」でしかない――のごく一部にしか過ぎない。第二次世界大戦という悲惨な戦争を経験してもなお、切れ目なく続く戦火。このまま人類は戦争に滅ぼされるまで戦争を続けてしまうのか。取り上げた事象に悉くアメリカが絡んでいるのは恣意的な編集かも知れないけれど、それだけの影響は無視できるものではないし。やはりこの手合いのNスペはシリーズ化して色々やって欲しいなと思う次第。

 JAG/ネイビーファイルを見ていると、アメリカ人だって傷ついているんだというのは分かるんだけどさ。ベトナム反戦デモで、銃剣を持った兵士の集団の前に立ち、一輪の花を捧げた少女の人生とか見ると、尚のことあの国は何やってんだかという気にもなる。

 番組初盤でも映される、キャパが写した60年前ドイツで焼け出されて呆然とする家族の写真で終わるのだけれど、ここから何の進歩もないとは思いたくもなく。しかし、ボスニアで我が家を追われた家族が見つけた、隣人のセルビア人のナイフでズタズタに傷をつけられた家族の記念写真の惨さには言葉も出ない。イスラム革命以降の、宗教が飲み込んでいく人々の渦。写真に写る、熱気の湯気が凄い。

 日本はこの60年、戦争も知らずに安穏と暮らしてこられたのだけれど、その幸運をどれほど意識しているのだろう。何故この60年が有り得たのか、真剣に考えなくてはならないと思う。という訳で次は「一瞬の戦後史」日本編を熱烈希望。戦後の日本で宗教がどうにもタブーになってしまった一方で新興宗教が流行っているというのは、何か今回取り上げられていた、社会主義国で宗教が弾圧されても人々が信仰を捨てずに、結局社会主義の崩壊を招いて、一部では民族浄化にまで繋がるというあの動きを連想させてならんのですよ。宗教とは何ぞや、という視点では学校で宗教についてちゃんと教えるべきだとも思う。

 昨日は「復興 ~ヒロシマ・原子野から立ち上がった人々~」の再放送やってたし、今夜はNHKアーカイブスは平和アーカイブスの日だしで、重いのが続いてます(「夏服の少女たち」は珍しくアニメだけど)。ちょっと分散して欲しいかも。

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2005.05.14

ちょっと前のNHK

■金曜時代劇「柳生十兵衛七番勝負」

 チャンバラが面白くて当たりでした(^-^) カメラワークというか、画面作りも凝っていてぐーです。初回で犬使いの伊賀者が出てきて、倒れた忍びから通信文受け取って走る犬に「頑張れクロ、走れ!」とかって勝手に名前付けて応援してしまいましたが←ジライヤの見過ぎ。主演は村上弘明で高野八誠がお付きの忍者やってたりして何気にダブルライダー。第二回での永倉さんこと山口智充もなかなか良かったし、ゲストのみなさんもそれぞれに味があり。千葉真一の宮本武蔵は台詞回しも含めてゾクゾクしたし、最終話のチャンバラもたっぷり時間かけててほんと良かった。佐々木蔵之介の由比富士太郎も好みだし、パート2やって欲しいなぁ。

■よるドラ「アカペラ戦隊ブギウギ5」(違)

 こちらも結構面白かったです。これも柳生十兵衛と同時に終わってしまいましたが。主婦5人が5色のバイクに乗ってうわっまじで戦隊だよっとか思ってしまいましたが、旦那5人も中々に。ピンク旦那の京本政樹が必殺風な手技を見せたりとか、無愛想に見えて実は奥さんとらぶらぶで結構アツイとか(源さんこと小林隆のグリーン旦那を「アニキ」呼ばわりした時には何が起こったのかと)、この人が一番面白かったかも。レッド旦那の転職先の社名が「クワトロ」だというのにも吹きましたが(^^;

■NHKスペシャル「終戦60年企画 ドキュメンタリードラマ 望郷」(再放送:5/28(土)3:05~4:35)

 関口知宏主演というのもあり見てみましたけれど、仲代達矢さんが語りでおやっと思ったら、脚本・演出の岡崎栄氏はやはり「大地の子」の方でした。ドキュメンタリー半分ドラマ半分ってことで、全体的にはちょっと物足りない印象。でもそれは、なまじ良いだけに、もっと見たいと思わせるものだったということで、決して悪くはないです。寧ろこの時間ではこれが一杯一杯なのかなと。逃した方は再放送を是非どうぞ。日独露の三ヶ国語の台詞をこなした関口知宏の、やってることはえらい大変なんだけどそれを見せないというか、凄く自然体な演技が良かったです。クリスティ・ポパ氏のアナトリエとの二人の会話が良い味でした。戦争は決してあってはならないこと。でもこの捕虜収容所での出会いについては、戦争に負けて良かったと。「バラーダ」の調べがまた美しく。

 ただNスペの番組案内(既に消えてます)で

 渡辺はそれから2年、指輪を自分の歯に糸で繋ぎ、口の中に隠し持つが、やがてソ連兵に没収されてしまう。そして1947年、日本に帰還。以来、失くした指輪のことを渡辺は片時も忘れなかった。

 とあったのはあれっ? て感じも。まぁ、ドラマだし。でもほんとあの雨の中に手紙を落としさえしなければもっと早く再会できたかもしれないのにーとかいいつつ、彼の国を思えばそれがなくとも色々難しかったのだろうとも。しかし宛名の「大日本」に泣ける。あの紙をずっと持っていてくれたんだと。だからこそ再会が叶ったのだけれど。

 それにしても日独伊三国同盟に当初ルーマニアが参加していたのを知らなかったのが恥ずかしい。高校で世界史やらなかったからなというのは言い訳にならんだろ。彼らの受けた苦しみもまた、知らなかったと言えるものではなく。

 あ、関口つながりで「鉄道乗りつくしの旅」ダイジェスト@総合は今夜(5/14 25:10~25:35)。

■その時 歴史が動いた第218回「にっぽん郵便創業物語~前島密の挑戦~」

 1円切手の前島密。まぁ彼の情熱はヨシとしても、これはNスペ「明治」シリーズ便乗というより、郵政民営化の話題への便乗なんだろうなぁ。でもこの内容だと、政府による郵便事業と、お国のためなら手弁当で郵便取扱所に協力した元名主達(特定郵便局の局長さんだわね)と、商売奪われたのに一転事業に協力するようになった飛脚業者の皆さんをヨイショする内容なんで、何か民営化反対の立場に見えてくるんですが。それでいいのか公共放送。よりによってこんな時期に。つーても「宅配便」の方はプロジェクトXで随分前にやっちゃったしな。

 今後の放送予定では、5/25の第220回「戦場の負傷者に救いの手を~佐野常民・日本初の国際人道支援~(仮)」が面白そうです。

 例によって下書き寝かせてたら古い話ばかりになってしまいました(_o_)

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2005.05.08

Nスペ「原爆投下・10秒の衝撃」と核実験博物館

 4/3放送のNHKアーカイブスの平和アーカイブス企画はNHKスペシャル「原爆投下・10秒の衝撃」(1998/8/6放送)。原爆が広島を壊滅させるのに要した時間はわずか10秒。それを、原爆炸裂までの100万分の1秒・3秒・10秒の3段階に区切って、その時何が起こったのかを解明する企画。

 内外の科学者が広島に集まり、爆心地である旧・猿楽町の住人たちの協力もあって「その時」が再現されていく。まだ炸裂さえしていない100万分の1秒間に中性子線が放出され、爆心直下ではこの時点で既に致死量の被爆となる。その後3秒までの間に火球が生まれ、後に原爆ドームと呼ばれることになる広島県産業奨励館の銅屋根を溶かしてしまうほどの熱線と、その周囲に居た人々に後遺症を残すに充分な放射線とを撒き散らした。そしてその後10秒までの間に、急激に高温の火球が膨張したためにその周囲の空気が押し出され衝撃波となって地上を走った。爆心から4kmほどの位置に居た人は、爆風が来るまでに時間があったと証言している。

 「ピカドン」という言葉が当時を振り返る証言にある。突然現れた火球の光と、その後の衝撃波を表す言葉。しかしその瞬間は映像記録にはない。原爆投下から3分ほどした後、広島上空に立ち上るキノコ雲の映像があるだけだ。その後米軍が地上で核実験をした際の実験映像を参考にCGが作られ、実験室の中で再現される「その時」。科学者がこのような研究をするのは、「その時」何が起こったのかを明らかにし、そしてそれを繰り返さないためなのだろう。

 ただ、今回の企画に海外から参加し、最後に改めて広島平和記念資料館を訪れた科学者の一人は、「ヒロシマの惨状は我々の未来を示すものなのか」というような言葉を残していた。録画を確認できないので正確ではないと思うが、このような未来を望まないからこそヒロシマから学ぶのではないのだろうか。尤も彼は確か核保有国の科学者だったと思うが、だからこそ、自分の研究を大切にして欲しい。過ちを繰り返さないために。

 このNHKの放送の数日前、JNNニュースバード(TBS系CS)でアメリカの「核実験博物館」について報じられていた。様々な展示がある中で、先の「原爆投下・10秒の衝撃」で語られた「その時」を疑似体験できるアトラクション《グラウンド・ゼロ》が売り物となっている。遊園地にあるアレと同じだ、椅子が揺れて音と映像でドーンってやつ。インタビューに応えていた来館者の少女は「まるでその場に居るみたい」だと興奮気味に話していたが、「その場」に居たらあんた死んでるんだぞ分かってるのか。分かっていないんだろうな。一番重要な「痛み」が体験者の心に再現出来ていないのでは意味ないじゃん。ダメだこりゃ。

 などという内容が引っ掛かっていただけに、余計この番組は見なくてはならないと思った一本で、見た甲斐もあり。今後も平和アーカイブスには注目していきたい。ただ「平和」を問うNHKスペシャルといえば、東京大空襲にパレスチナ問題など様々な番組があるものなので、被爆関連に限定しなくても良いとも思うのだけれど。ヒロシマの祈りが「過ちは繰り返しませぬから」であるのだから、被害者の視点にばかり偏るのではなく、何故人はその過ちを犯したのかを検証するものであって欲しいと。

 ……と例によって下書きで寝かせていたら、もう5月分の放送日。1本目の「そして男たちはナガサキを見た」は見た覚えがあるけれど、さすがに2本目の「ドキュメンタリー 似島の怒り」は見ていないので録画予約しないと。核不拡散条約(NPT)再検討会議が国内でも現地でも今ひとつ注目されないでいるのが残念。他にも大きなニュースがあるから仕方ないのだけれど。

NHK平和アーカイブス
asahi.com: 広島・長崎の思い届かず、大半空席 NPT再検討会議 - 社会


 なお、核実験博物館については以下の記事も。

tamyレポート: 核実験 疑似体験する 博物館!?

 上の記事でも紹介されているが、核実験博物館の《グラウンド・ゼロ》については以下2本の記事が対照的。Wired Newsでの「風下の住人」の話も興味深い。これらの記事にある展示内容を見た上で、先のインタビューにあのように少女が応えていたのだとすれば、仏を作って魂入れずということなのか。相反する思惑があるのは分かるが、「その場」で多くの人が死に、そして今も苦しんでいる人が居るという歴史的事実は変わらないのだから、それをしっかりと伝えるべきではないのか。

週刊ラスベガスニュース : 学術的な資料館として評価したい "原爆博物館"
Wired News - 新設『核実験博物館』をめぐる、さまざまな思い

原爆投下・10秒の衝撃
NHK広島「核平和」プロジェクト
日本放送出版協会 1999-07


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Nスペ「東京大空襲 60年目の被災地図」

 3/6放送のNHKスペシャルは「東京大空襲 60年目の被災地図」。住所と死亡した場所を結んだ地図が作成された。移動の矢印が集まる場所は、そこで多くの人が亡くなったことを示す。何故人々はそこを目指したのか、そしてそこで人々はどう死んでいったのか。生き延びた人々の証言と絵から、その夜を再現する。残念ながらこの被災地図の公開は4/10にて終了。

 丁度1年前にNHKアーカイブスで見た「東京大空襲」(1978年)とつい比較してしまって点が少々辛くはなった。製作時期の違いがあるので仕方ないとは思うが、その時とはまた違った悲劇の生々しさが今も失われずにいることが示されていて、これはこれで良かったと思う。

 アメリカの焼夷弾の実験の記録映像(実際に木造家屋を建てて延焼実験をしたもの)は、勝つためにはここまでやって当然だよなと思うし、実際の空襲の報告書やB29のパイロットの証言からは、あまりに大規模な空襲が「計画」を超えて被害を拡大させたことが分かる。件の司令官に関するコメントには絶句したが、戦争とはそんなものだと思うしかないのか。

 鉄筋校舎の学校を避難時の家族の集合場所にしていたものの、炎はガラス窓を破って入り込み、校舎は炎上する。プールに逃れた人々の頭上をなめていく炎の舌。人々の足元にはプールの底に沈む人々。兄はプールに飛び込み焼死を免れたものの、妹はそのプールの底で死んでいるのが見つかった。「後悔していますか」ってそんなこと訊くなよ取材クルー。後悔なんて言葉で言い尽くせるものではないことくらい想像できるだろうに。

 燃え盛る下町から逃れようにも川が行く手を阻む。橋の上に密集した人々の上を火炎が走り抜ける。炎がなくともこの群集では橋の際まで押されてしまう人もいただろうに、火達磨になりながら橋から落ちる人が居る。その下の川もまた、地獄だった。

 生まれたばかりの娘を背負い、冷たい川の中、ようやく大八車に辿り着き眠り込む。夫は大八車に乗る余裕がなく、川の中じっと立ち尽くすのを見たのが最後になった。そして守ったはずの娘は息を引き取り、娘のおかげで背中が濡れなかったために生き延びた母は、戦後孤児の世話をし続ける。

 空襲の対象域の外縁部の病院から患者を連れて、亀戸駅を目指して逃げた看護婦。火の手と人波に行く手を阻まれ、どうせなら病院で死のうと戻ると、既に病院は焼け落ちていた。しかし重篤患者と行動を共にした看護婦らは帰ってこなかった。

 彼女が目指した亀戸駅付近に出来た焼死体の山。防火帯に設けられたいくつもの防空壕の蓋を燃やしていく炎。一夜明けて、川面に浮かぶ無数の死体。その中にはしっかりと紐で結ばれた母子。録画した訳でもないのに、それらの絵が脳裏に焼きついて離れない。

 戦後60年目とあって、東京大空襲を題材としたアニメ映画も相次いで製作されたというニュースも3/10前後にあり。そのうちの一つ「ガラスのうさぎ」は小学生の頃に読んだが、ふと読み直したくなった。母と妹を空襲で失った後、父が機銃掃射で殺されて一人になってしまった主人公が引き取られた先で苦労するというあたりの話が印象的で。生き延びる辛さ、というものを初めて意識した作品。

 NHKに話を戻して月曜ドラマシリーズ最終作の「ハチロー 母の詩 父の詩」の最終回でも東京大空襲が描かれたが、焼夷弾の落ち方が、先の記録映像を思い起こさせて妙にリアルだった。「家族のために深川に家を用意した。末の子が中学受験で……」とか言われたらそれはもう駄目じゃないか。

 余談ながらこの「ハチロー」、原作の「血脈」はまだまだ先があるというあたりで終わっていることもあって、ちょっと尻切れっぽいラストで何で突然「リンゴの唄」なんだよという感じではあったけど、中々面白かった。再放送あったら見たいなと。掲示板を見ると「新選組!」が好きな人ならOK、みたいな意見があって、何か分かる気がする。破天荒というかハチャメチャというか、とにかくもう滅茶苦茶としか言いようがない。なのに、ずどんと重い。それが面白いんだけど。原作も読みたいもののあんな長いのいつになったら読めるのか。それにしても劇中の歌はサトウハチローの歌だと知らずにいたものばかり。

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2005.05.01

愛国無罪と言うけれど

 日本の常用漢字の「愛」には「心」があるのに、簡体字にはそれがないじゃないかとか思うのは、ただの言いがかりなんだけど。

 日中首脳会談の条件は閣僚が靖国神社の春の例大祭に参加しないこと、とかいうような話があった中で(その話がなかったとしても今の空気を読まずに)靖国に行った人というのもある種「愛国無罪」ではないかと思ったりもする。「紳士協定」があったとかなかったとかいう話も出てるけど、それがあろうとなかろうと、何でわざわざ傷に塩を塗り込むようなことをするのかしらね。日本人でさえ快く思わない人も居るのに。

 在日中国領事館への嫌がらせに対する領事の日本政府へのコメントは、中国と日本を入れ替えたらそのまま日本政府が中国に言ってることだったんだけど、であればこそ、日本ではこうした行為に法治国家としての毅然とした対応が求められる訳で。殊に中国側で対処が厳しくなってきて双方で逮捕者も出てるけど、中国の反日デモに反対して日本国内で実力行使だなんて、日本人としての誇りがあれば出来ないことだと思うんだけどなぁ。同じレベルに下りてどうするのよ。

 同じ敗戦国のドイツとは単純に比較できないとかいう話もあるけれど、でもこの差は何なのとも思う訳で。近隣国とは普通仲が悪いものだと言ってた政治家も居たけれど、だからこそ仲良くしなきゃいけないし、それをするのが大人だろうと。

 教科書問題に関しては、いっそ「教科書問題」自体を取り上げる教科書を作ればいいという話が面白かった(少し前の朝日新聞オピニオン欄)。歴史には複数の視点で見ることが大事な訳で、そういう意味では「教科書問題」はいい教科書になるよなとも。ただ実際の現場では授業時間が確保しきれずに、その教科書を全部教える時間がなく、問題の近現代史なんてとても教えていられないというのは、まさか全部教えないための教科書を作っているんじゃないかとも邪推したり(今使われている教科書には縄文時代がないらしいが)。自分の生きている今、生きていく未来に直接繋がる近現代史は一番重点を置くべきところだと思えるのに。自分が高校で日本史をやったときには、3年から2年の続きの近世史の枠と、ページを飛ばして近現代史からの枠とに時間割を分けて2学期中に全部教科書終わったんだけど。

 自虐史観とか言うけれど、歴史から何を学ぶかといえば、成功だけでなく失敗にも学ぶことが多い訳で。過去の過ちを繰り返さないことを学び、それを実践して世界に示すことが敗戦国である日本の責務だと思える。敗戦国であるが故に60年間戦争をしてこなかったことは、他の国にできなかったことでもあるのだから、それは自虐どころか誇りにして良いことでしょ。軍隊を持って普通の国になりたいとか言ってる人も居るけれど、「普通ではない国」であることにこそ今の日本の価値があると思うんだけどな。


 5/3の憲法記念日を前に、時間が出来たらきっちり読みたいもの。4/29は「みどりの日」のままで良いのにな。11/3だって「文化の日」なんだしさ。

マガジン9条

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2004.10.16

優雅な無知

 朝日新聞木曜夕刊のアーサー・ビナード氏のコラム「日々の非常口」の10/14付け「優雅な無知」にて、平和とは何かを定義した言葉が二つ挙げられている。

■アメリカの詩人、エドナ・セントビンセント・ミレー氏

平和とは、どこかで進行している戦争を知らずにいられる、つかの間の優雅な無知だ

■ベトナムのガイド、フィさん

平和は、戦争をしたがる人の準備のための時間

 上のミレー氏の言葉は1940年のものというから、海の向こうで始まった第二次世界大戦を眺めてのものなのだろう。そして、ベトナム戦争が激化していた1967年にアメリカで生まれたビナード氏が、おぼろげな記憶の中にしかなかった戦争の舞台となったベトナムを先頃訪れた際にガイドから聞いたのが下の言葉。アメリカでは58000人余りの米兵の犠牲は当然重みを持って受け止められている。しかし300万人のベトナム人が殺されたことにきちんと向き合ってこなかったことに氏は気付いたのだという。そして今、米大統領選で、イラク戦争で千人を超えた米軍の犠牲者のことは取り上げられても、万単位で殺されているイラク市民のことは出てこないのだと。

 題名にも引かれた「優雅な無知」という言葉の感覚はさすがに詩人。そして、戦争に蹂躙された国を案内する人の言葉はさすがに重い。戦争を知らない日本人は「平和」を何と定義すれば良いのだろうか。「秋晴れの空の下で昼寝の出来る幸せ」というのはただの願望だし。「もう二度と手放してはならないもの」というのも理想が勝っているような気もする。

 平和とは必ずしも同義ではないが、「戦後」という言葉がある。「もはや戦後ではない」などと言われたときには、「終戦直後の貧しかった時代」を指していたのだろう。しかし日本が戦争をしないまま59年が過ぎても、世界に戦火が止むことはない。「戦後」とは単に「次の戦争の前の時期」でしかないのだ。最近寝言でよく話題にしている機動新世紀ガンダムXは「戦後」を描いた物語だが、次の戦争が始まろうとしている中で、「次の戦争に戦後はあるのだろうか」という台詞が登場する。今続いている戦争の戦後がまるで見えずに、ふとこの台詞を思い出してしまう。

 アメリカ生まれの詩人であるビナード氏の連載は木曜の楽しみの一つ。海を越えて伝わっている「入浴剤入りの温泉」の話題だとか、氏が日本で発見した文化の違いなどの「アメリカ人の見た日本」の話題が楽しめる一方で、今回のような「アメリカ人が伝えてくれるアメリカ」の話題も興味深い。

Web日本語|アーサーの日本語つれづれ草 

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2004.09.17

コスタリカ、有志連合から脱退

 新聞を整理してて、コスタリカが米政府に「有志連合」リストから国名を削除するよう求めたという記事を見つけました。同国の最高裁憲法法廷の違憲判決によるものです。以下、Webで見つけた記事の重ならない部分を抜き出してみます。

コスタリカ、米国の対イラク戦争有志連合から削除要求(CNN.co.jp - USA)

コスタリカ・サンホセ――中米コスタリカのトバル外相は9日、対イラク戦争を支援する「有志連合」の国名リストから自国を削除するよう米政府に要請した、と述べた。これに対し、米ホワイトハウスのマクレラン報道官はコスタリカ政府の要望には応じる方針を示した。AP通信が報じた。
(中略)
米国務省報道官は、コスタリカの「有志連合」リスト入りは、同国のテロリズムに対する反対姿勢を象徴したものと指摘。コスタリカは、軍事、経済的にもイラク再建への支援に加わっていないと述べた。

コスタリカ:「イラク戦争支持は違憲」、最高裁が決定 「有志連合」脱退、米に要請(MSN-Mainichi INTERACTIVE)

同国の護民官や弁護士団体が「コスタリカによる軍事行動支持は違憲で、イラク攻撃は国連安保理の承認も得ていない」と非難し、政府に撤回を求めた。
 護民官らの告発状によると、パチェコ政権は「連合参加は道義的なもので軍事支援ではない」「米国などテロ被害国の戦いは我が国の平和主義と矛盾しない」と解釈し、撤回を拒否してきた。米側も「我々はコスタリカの平和主義を尊重し、軍事支援は求めない」と表明してきた。

コスタリカ、「イラク戦争有志連合」の削除を米に要請(NIKKEI NET:国際 ニュース)

 コスタリカは1949年、憲法で軍隊の保有を禁じており「永世的な非武装中立」を宣言している。しかし、パチェコ大統領は昨年3月、イラク戦争開戦に向け、米国政府を支持する姿勢を表明。その後、コスタリカ大学の学生が「違憲」として裁判所に訴えたことを皮切りに、国内で政府に対する反発が高まっていた。

米国に「有志連合」からの国名削除要求へ コスタリカ (asahi.com : ニュース特集 : イラク情勢)

 同国の規定によると、憲法法廷の判決は即時発効し、過去にさかのぼるため、国名削除とともにコスタリカの「米国支持」という事実はなかったことになる。

 朝日新聞9/8夕刊の元記事のほうが文字数は多いんですが、主にコスタリカ国内の反応と経緯を紹介されている内容です。

#下書きを寝かせてる間に、9/16朝刊に詳しい経緯や背景などを紹介